転職、就職、派遣就業支援などを手掛けるネオキャリアは、業界内成長率トップクラスの企業。2000年創業だが、1年半後の02年に債務超過に陥り、08年のリーマンショック時にも倒産の危機に見舞われた。02年の会社存亡の危機に代表取締役に就任し、その後危機を乗り越えながらも同社を今の成長軌道に乗せたのが現社長の西澤亮一氏だ。若手ながら経営者として豊富な経験で培われた経営手法と理念を聞いた。

にしざわ・りょういち/1978年生まれ。2000年3月日本大学商学部卒業、同年4月投資会社入社。同年11月、同期新卒9名でネオキャリアを設立。取締役に就任。設立後1年半で一時倒産危機を迎える。2002年代表取締役に就任し、会社を立て直す。就任後より単月黒字化を維持、1年半後には累積債務を解消した。存続の危機を乗り越え、以降、売上、社員数共に成長を遂げている。 Photo:Yoshihisa Wada

――売り上げがこの5年で12倍に増加しています。毎年150~200%も伸びていますが、この成長の理由はどこにありますか。

西澤 我が社は、人材、ヘルスケア、WEB、グローバルを軸に事業を展開していますが、中でも人材領域での強い分野は「新卒」「介護」「保育」、そして「海外」です。新卒は競争が激しい部分ですが、私たちは大学と一緒にセミナーを開催するなど、大手人材企業とは違ったサービス内容の差別化がうまく行っています。またアウトソーシング支援で、セブ島にコールセンターを作ったりということもしています。すでに強い企業が多くある業界なので、他社と同じことをするのはなく、独自に事業構造を強くすることで競争優位を保つよう、常に考えてきました。

 今期は特に、介護、保育、海外の分野に力を入れてきました。今後は、ウエブサイト上のプラットフォーム作りに力を入れていくつもりです。LINEのCEOを退任された森川亮さんに社外取締役で入っていただいたので、プラットフォーム作りの第一人者の知恵をお借りしながら、ウエブ上で人が集まる仕組みを作ります。

 プラットフォームといってもよくわからない、と言われてしまうんですが、つまり、「銀座4丁目」のようなイメージです。良いものが集まり、人が集まる場所。新卒、介護、保育、海外とそれぞれの領域で“銀座4丁目”を作ります。これができると、リアルとネット、つまり、地上戦と空中戦の両方を押さえることができるのでより強固になる、という戦略です。

潰れる寸前からの
V字回復

――人材業界では2000年以降に創業した企業で売上が100億を超えたのはネオキャリアだけです。

西澤 この業界はデータベースを押さえている大手さんが圧倒的に強くて、なかなか新興企業が伸びにくいです。特に、派遣業など対企業のビジネスでは、美容師さんと一緒で、一度営業が担当して気に入ってもらえると「君に任せるよ」とずっと指名してもらえる。大手さんには素晴らしい営業担当者がたくさんいて、新参者がなかなか入りにくい業界構造なんです。

 私たちが今の成長力を付けたのは、リーマンショックがきっかけでした。リーマンショックで企業の売上が急速に落ち込んだ。それに伴って、他社の営業担当者がリストラされたり、新卒の内定取り消しがあったり。競合他社ので事業撤退、拠点閉鎖、オフィス閉鎖するところが相次いで、人材マーケットが7兆円から一気に3兆円まで縮小しました。

 私たちもとても危なかったんです。しかし、ここで「今の危機をチャンスととらえよう、まずはやれることからやろう」と。

 とにかくみんな、経営陣も現場に出よう、と。役員たちも全員、新入社員並みに営業活動をしました。電車に乗って、お客様のところを回って、一生懸命、会社やサービスの説明をしました。

 そうしているうちに、お客様の「派遣ビジネス自体が縮小してしまってすごく困っている」という声の多さに気付いたんです。加えて、地方経済は都市部に比べて落ち込み度合いが少なかったので、「人材会社の営業マンがいなくなってしまって困っている」という声もよく耳にするようになりました。

「ここは当たる」と思いました。正直、既存事業を維持するのも精一杯な経営状況だったのですが、新規事業として「派遣ビジネス」を立ち上げ、「地方展開」に力を注いだんです。

 この読みが当たって、他社は売上げが低迷していく中、私たちは毎年倍々で伸びていくことができました。周囲が引いたときに、一気にアクセルを踏んだのが、今の成長のきっかけだったと思います。競合他社はリーマンショック前の水準に戻ったのは2年前くらいのようですが、我が社は2010年度の売上が20億、11年度40億、12年度70億、13年度120億、14年度180億、で今期が250億になる計画です。