元国税専門官で、現在はフリーライターの小林義崇さん。当初は安定を求めて国税専門官の道を選ぶも、仕事を通じて出会ったさまざまな資産家などから影響を受け、フリーライターに転向という異色の経歴の持ち主だ。今回は、そんな小林さんのおカネにまつわるヒストリーを公開!さらに、小林さんが前職で目撃した資産家のおカネの使い方、おカネ持ちの共通点なども教えてもらった!(ダイヤモンド・ザイ編集部)
両親の離婚で裕福な暮らしが一転、困窮した状態に
多額の奨学金を返済するため、給料の良い国税局に就職!
――元国税専門官のフリーライターというユニークな経歴を持つ小林さんですが、国税局に就職したのは、借金返済が目的だったそうですね。
元国税専門官のフリーライター 小林義崇さん●1981年福岡県出身。2004年に東京国税局の国税専門官として採用される。相続税の調査や所得税の確定申告対応、不服審査業務等に従事。2017年7月、東京国税局を辞職し、フリーライターに転身。『すみません、金利ってなんですか?』(サンマーク出版)が15万部のベストセラーとなる。
小林さん はい。大学時代、学費と生活費の大部分を奨学金で賄っていたので、4年間で1000万円近い借金を抱えてしまったんです。
卒業後、毎月4万円以上を約20年にわたって返済しなければならなくなり、きちんと返すには、収入が安定している仕事に就かなければならないと考えました。そこで、公務員に的を絞って就職活動を行い、受かった中でいちばん給料がよかったのが国税専門官だったというわけです。
――奨学金を使って大学に進んだということですが、あまり裕福なご家庭ではなかったのですか?
小林さん 中学生までは、特に不自由のない生活を送っていました。父が建設会社を経営していて、バブル景気だったので羽振りがよかったですからね。塾に通うときに、父からタクシーチケットをもらって通うほど贅沢な暮らしをしていました。
――それがなぜ、高校・大学と奨学金を借りることになってしまったのでしょう?
小林さん 中学3年生のときに、両親が離婚したからです。私に加えて、弟と妹もいるので、たちまち生活が苦しくなりました。とても自力で高校と私立大学に進めるような家計ではなくなってしまいました。
それで奨学金の支給を受けることにしたのですが、高校生の頃は、まだ金銭感覚が未成熟だったので、「入るおカネ」のことしか頭にありませんでした。いずれ利子を付けて返さなければならないということにまで、当時は頭が回らなかったんですね。
――それで、借金を返すため国税局に就職されたのですね。
小林さん ほかに国家公務員二種にも合格したのですが、実は国税局職員は専門職なので、一般の公務員よりも給料の水準が高かったんです。しかも、東京23区などで勤務すると手厚い手当が付くので、月収は福岡の国家公務員二種に比べると4万円ほど高くなります。
卒業してから奨学金を月々4万円以上返済することになっていたのですが、ほぼ同じ額のプラスアルファが得られるということで、生まれ故郷の福岡を離れ、東京国税局に勤務することにしました。国税の仕事にも、東京にもさほど興味があったわけではなく、きちんと借金が返せるかどうかが決め手でした。
――公務員なら、勤め先が潰れる心配はないので、収入が途絶えて返済が滞るリスクもないですからね。「とりあえずひと安心」という心境だったのでは?
小林さん それが、そうでもなかったんです(笑)。公務員になった最初の2~3年は、家賃が数千円の独身寮に入っていたこともあって、奨学金を返済しても、毎月そこそこの貯金ができました。でも、25歳で結婚してから、家計が一気に苦しくなってしまったんです。
当時年収は400万円以上ありました。でも、専業主婦の妻と子どもを養いながら、毎月4万円の奨学金の返済は相当しんどかったですね。さらに、結婚したのを機に独身寮を出て、国税局の家族寮で暮らしていたのですが、子どもが大きくなって部屋が手狭になったんです。また引っ越さなければならなくなり、家賃が比較的安い埼玉県のマンションを借りました。
それでも家賃と奨学金返済の負担はかなり重く、月々の給料だけでは赤字になってしまいました。奨学金を自分だけで返済することは難しくなり、母親にも返済の一部を支援してもらっていました。








