リア充に対する思いをこじらせて……

 ここまでは、「リア充がうらやましい」という感情からくるイライラを取り上げてきた。しかし、リア充を批判する陣営には、もっと複雑でひねくれた感情を抱えている人たちもいる。そこがリア充、非リア充の対立構造を語るうえで、ややこしい部分でもある。

 彼らはリア充のことを、むしろ「下」だと思っている。集団で群れをなして「ウェーイwww」とハシャギながら写真を撮っているリア充たちを、馬鹿にしているのである。彼らの多くは一人でも楽しめる文化的な趣味を持っていて、「リア充=文化水準が低い奴ら」だとみなしている。彼らからすれば、「自分の方が充実している」というわけである。

 馬鹿にしているとまでは言わないが、筆者にも同じような気持ちがある。読書という地味な趣味を持っている筆者は、集団で楽しそうにしている同級生たちを眩しく思いながら育った。「うらやましい」という気持ちもあった。しかし、「うらやましい」がいつしか「僕の方が、崇高な趣味を持っている」とこじらせた感情に変わってしまったのだ。

 そうした「こじらせ系」にとっては、リア充が幅を利かせている状態が許しがたく感じる。多感な思春期にスクールカーストが低く、「虐げられてきた」という思い込みもあるため、リア充を見ると闘争心に火がついてしまう。そう、こじらせ系にとって、リア充批判は闘争だ。自分たちの優位性を証明するための闘争だ。リア充とは具体的な個人を超えた、闘争すべき仮想敵なのだ。そして、さらに「こじらせ」を深めていくのである。

 まったく関係ないが、以前、後輩の女子から「みんなで恵方巻きを食べるイベントに行った」と聞かされて、閉口してしまったことがある。恵方巻きと言えば、コンビニでバイトしている友人に押し売りされるものだという認識だったが、まさか集団で食べるイベントが開かれていたとは。その感覚の差が、リア充と非リア充を分かつ深い溝なのだろう。