全4回のシリーズでお届けしているヒクソン・グレイシーへのインタビュー。第3回は、伝説の格闘家が「引退の理由」を語ります。(聞き手/ダイヤモンド社書籍編集局)

――ヒクソン、あなたが引退を考え始めた理由について聞かせてください。

ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie)
1959年11月21日生まれ。ブラジル出身。柔術家。総合格闘技の歴史にその名を刻む「グレイシー柔術」最強の使い手として知られる。初来日時に付けられた「400戦無敗」というキャッチフレーズはあまりにも有名。現役時代は並み居る強豪を次々と撃破し、総合格闘トーナメント「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン」では2年連続優勝という偉業を達成(1994年、1995年)。その後、高田延彦、船木誠勝といったプロレス界のスーパースターにも完勝し、その強さは日本の格闘ファンのみならず、様々なメディアを通して広く一般にも知られることとなった。2008年2月に一般社団法人 全日本柔術連盟(JJFJ)を設立し、初代会長に就任。現在は後進の育成と共に、グレイシー柔術の普及に尽力している。 Photo by Takahiro Kohara

 2006年、東京ドームでの船木との試合から8カ月後の2月、私の長男がこの世を去った。

 それから3週間しかたたないうちに、次の試合の申し込みがあり、最高の条件が提案されたその試合が実現すれば、私の格闘家人生でも最高の一戦になるはずだった。

 しかしそれは、息子が亡くなってから、あまりにすぐの話だった。いくら良いオファーでも受けるわけにはいかなかった。

 確かに、「この試合の勝利をホクソンに捧げよう」と言って自分を正当化することもできたし、そうすれば、もっと強くなろうという意欲も湧いたかもしれない。

 しかし、試合までの8カ月間、私が「トレーニングに行く」とか「泳ぎに行ってくる」と言って、試合の準備ばかりしていたら、家族の心は私から離れてしまう。たとえば学校への送り迎えの途中などに、家族のそばにいて話をする時間はなくなってしまったに違いない。

 どんなにホクソンに会いたいか。ホクソンが天国にいるならどんなに嬉しいか。そんな話をするチャンスも、ちょっとした思い出の数々を一緒に懐かしむこともできなかっただろう。