発達障害のひとつであるADHD(注意欠陥・多動症)の当事者である借金玉さん。早稲田大学卒業後、大手金融機関に勤務するものの仕事がまったくできずに退職。その後、“一発逆転”を狙って起業するも失敗して多額の借金を抱え、1ヵ月家から出られない「うつの底」に沈んだ経験をもっています。
近著『発達障害サバイバルガイド──「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』では、借金玉さんが幾多の失敗から手に入れた「食っていくための生活術」が紹介されています。
働かなくても生活することはできますが、生活せずに働くことはできません。仕事第一の人にとって見逃されがちですが、生活術は、仕事をするうえでのとても重要な「土台」なのです。
この連載では、本書から特別に抜粋し「在宅ワーク」「休息法」「お金の使い方」「食事」「うつとの向き合い方」まで「ラクになった!」「自分の悩みが解像度高く言語化された!」と話題のライフハックと、その背景にある思想に迫ります(イラスト:伊藤ハムスター)。
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発達障害の僕が発見した「パチンコとソシャゲで時間とお金を食いつぶす人」に欠けたたった一つの視点

楽しさの「エントリーコスト」

 人生には娯楽が必要です。お金も人も、つまるところ風向きが悪くなれば離れていってしまうもの。「どんなときでも俺はこれさえあれば人生を楽しめる」という娯楽があれば、これほど心強いことはありません。そして、人間には娯楽が食べ物や水のように必要なものです。

 しかし、世の中には危険な娯楽というものがあります。もちろんそれがすべて悪いとはいわないまでも、たとえばパチンコは危険な娯楽です。

 なぜ、危険な娯楽なのか。それは、楽しさを得るためのエントリーコストが極端に低いということです。

 パチンコの本当にすごいところは、お金を入れてハンドルを回せば玉が飛び出しクルクルと数字が回る。それが揃えば大当たりで、お金が飛び出してくるというこの極めてわかりやすい仕組みです。液晶の画面では楽しいアニメーションが展開し、筐体はビカビカと光って「当たるかもよ?」と訴えてきます。そして、人間には「入れたお金を取り戻したい」という強烈な心理がある。これらが相乗した結果、パチンコというのは尋常でなく強烈なのめりこみをもたらす遊びになっています。感心するほどよくできている。

 この世界には本当にたくさんの「楽しいこと」がありますが、どんな初心者でもあっという間に没頭させるということに関してパチンコ以上のものはそうそうないといえるでしょう。

教養とは、お金がなくても楽しく暮らせること

 「メキシコ人の漁師とハーバード大卒のコンサルタント」というインターネットでよく見かける寓話があります。出典は何なのか全くわかりませんが、要するにコンサルタントがのんびりと暮らしている漁師に「もっと働けば、あなたは大金持ちになって人生を早期リタイアできる。遅くまで寝て、魚を少しばかり獲って、子どもと遊び、妻のマリアさんと一緒にゆっくり昼寝をして、夕方頃には村に散歩に出て仲間たちとワイン片手にギターを弾いて楽しんだりできる」と教えたところ、「俺の今の生活と何が違うの?」と切り返されるというなかなか味のある寓話です。

 しかし、このお話では大きなことがひとつ無視されています。少しのお金を稼ぎ、子どもと遊び、村に散歩に出てワイン片手にギターを弾いて人生を満喫できるスキルというのは、実のところとんでもなく大きな価値を持ったものです。

 多くの人は、この生活に憧れることはあっても、この生活に心から満足することはそうそうできません。村はずれにパチンコ屋ができればたちまち大盛況になるでしょうし、いずれアルコール依存症の治療が必要な人が増えてくるでしょう。世界のあちらこちらで今日も起きている、つまらないお話です。

 楽しさのための技術的習熟というものは、一般的に「教養」と表現されるものとだいたいのところで共通してきます。あるいは、最近はやりの言葉でいえば「文化資本」といってしまってもいいかもしれません。これがないと、享受できる「娯楽」の選択肢が著しく減少してしまうのです。

 たとえば、ギターを上手に弾ける人はギターをかき鳴らしていればとても楽しいでしょう。しかし、それが楽しくなるまでどれほどの練習を必要とするか考えてみてください。僕自身も下手くそながらギターを弾きますが、演奏そのものが楽しいと感じるようになったのは弾き始めて数年も経ってからです。最初はコードを押さえるにも指がまともに動かず、鳴る音は汚らしくて聞きたくもない。そんな状況が続いていました。

 多くの楽しさは、技術的習熟の先にしかないのです。それは、料理にしても釣りにしても、あるいは読書にしたってそうです。本を普段から読み慣れている人が軽い物語をひとつ楽しむのは「娯楽」であり「休息」であっても、普段ほとんど本を読まない人にとっては「訓練」であり「練習」になります。そして、一般的傾向としてお金のかからない趣味ほどこの技術的習熟がより多く要求されるというのは間違いのないことでしょう。

 「お金がなくても楽しく暮らす」というのは、ひとつの教養的到達点であると僕は考えています。もちろん、到達点は遥か彼方ですが、それでも少しずつお金のかからない娯楽、「エントリーコストの高い」娯楽を手に入れていきましょう。

 それはお金と違ってあなたのもとを去りません、誰にも差し押さえられません。事業をコカして一度何もかも失った僕がいうとちょっと説得力が出ると思いますが、それは間違いなく最高の資産なのです。

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