リクルートを辞めて独立した小岸弘和は、ひょんなことから赤字の結婚式場運営会社の再建を託される。しかし小岸の思いは社員に伝わらない。窮した小岸は従来の全7店舗を閉鎖するという荒療治に出る。自分の思い描いたコンセプトのゲストハウス型ウエディング施設を作り、運営するため、株主交代などの大きな転機を幾度か経、大きな苦難を乗り越えてきた。
リクルートを辞めてコンサルとして独立
年800組の沖縄での挙式を1万組へ
ディアーズ・ブレイン 小岸弘和社長 |
リクルートで、東名阪の3カ所だけだった結婚情報誌「ゼクシイ」を新たに8カ所立ち上げ、全国展開を果たした小岸弘和が独立したのは2001年6月、39歳のときだった。
青山に事務所を借り、ウエディングを軸としたコンサルティングを始めた。「1年間はリクルート時代のクライアントから仕事をもらわない」と決め、新規クライアントの開拓に奔走した。
最初の仕事は、宮崎のシーガイアだった。破綻したシーガイアを引き受けたリップルウッドから、ウエディング部門の再生を依頼されたのだ。その後、少しずつ仕事が決まりクライアントが5社になったころ、小岸は「自分はコンサルに向いていない」と判断、コンサルタント契約を解約していった。1年経ての方向転換だった。
その後は、立ち上がったばかりの「ホットペッパー」で、年2回のウエディング特集を小岸たち3人が中心になって企画した。同じリクルートに「ゼクシイ」があるのだから、社内で同じクライアントを奪い合うことになり、大騒ぎになった。
そうこうしながら、横浜市から日産スタジアムでのウエディング事業の立ち上げを任されたり、2001年の9.11米国同時多発テロ以降、観光客数が落ち込んでいた沖縄県からも依頼があった。当時、年800組程度だった沖縄でのリゾートウエディングを増やしたいというのである。
小岸は、当時、年間7000組ものウエディングを集めていた軽井沢を仮想敵として、2003年に1万組の目標を掲げた「沖縄リゾートウエディングアイランド構想」をぶち上げた。
800組を1万組にするというのだから、周囲からは「はったりだ」、「できっこない」と批判されたり、嘲笑されたりした。しかし、今や沖縄では9000組ものウエディングが行なわれる。小岸たちの狙いは成功した。
従来の7店舗、全店閉鎖の荒療治
増資を引き受けた株主から非難続出
僅か3人で、年間2億円もの売上をあげていたとき、小岸に次の転機が訪れる。グロービス・キャピタル・パートナーズやジャフコなどが投資する、水戸などで結婚式場を展開していたセレブリテの再建を依頼された。当時、売上が14億円なのに3億円もの赤字を垂れ流していた。小岸は社外取締役を引き受けた。2003年10月のことだった。