
湯谷昇羊
第19回
中古車2台で独立した田島憲一郎は、手形商売で資金繰りに苦しむ運送業から引越専業となる。多くの苦労をしながらも、様々なアイデアと工夫で業績を伸ばしていき、悲願の大証上場を果たすが、その直後、驚天動地の出来事が憲一郎を襲う。

第18回
33歳で会社を設立した吉村孝文は、建売りからマンション分譲まで、バブル景気に乗って拡大を続けた。そしてバブル崩壊に至り、新興デベロッパーが次々破たんしていくなかで、吉村の創建が生き残れた秘密は何なのか。

第17回
落ちこぼれ劣等生だった瀬戸は、「健康」をテーマに起業。悪戦苦闘しながらも「クッキーダイエット」をヒットさせ、売上げ100億円にまで成長させたが、諸要因で急降下。しかし、そんな窮地に立たされた瀬戸に、救世主が現れた。

第16回
ファミレスを創業した父親が突然急死、何の準備もなく35歳で社長に就任した重里欣孝を待っていたのは、言うことを聞こうともしない役員、新業態の失敗、不景気による売上の低迷、返済を厳しく迫る銀行などだった。

第15回
従業員100人にも満たない製薬会社・京都薬品工業の2代目社長・北尾和彦は、50億円もの資金と8年余の歳月をかけた新薬の開発に大失敗。そして苦肉の策のアライアンス戦略も簡単には成功しない。そこで今度は、社運を賭けた新工場建設に挑んだ。

第14回
フリーターをしていた都築博志は、父親からの要請で節電装置のレンタル事業に乗り出す。しかし、トラブルを抱えながらもようやく軌道に乗ってきた都築を、類似製品を扱う会社の詐欺事件が襲い、風評被害で倒産寸前まで追い詰められてしまう。

第13回
アクアはテレビコマーシャル用の絵コンテを専門とする会社だ。社長の原田は、1991年、26歳でアクアを起業するも、資金繰りで塗炭の苦しみに喘ぐ。それを脱したと思ったら、今度は社員が全員辞めることになり、1998年に第2の創業を余儀なくされた。

第12回
飲食業で失敗、27歳で明光義塾のフランチャズオーナーとなった箕輪友行は、社員などの度重なる裏切りにあいながらも教室を次々と開いていった。いまや77教室を展開、ワンブランドの店舗数で日本一を誇るまでに成長した。

第11回
プロ向け洋菓子の講師だった大川吉美は、ひょんなことからチョコレートの卸専門店を立ち上げる。天国と地獄を経験しながら「メーカーになりたい」と思っていた大川が、とうとう巡り会ったのが「ラスク」だった。

第10回
遠藤直紀はアメリカでインターネットやEメールを駆使する人たちに出会い、カルチャーショックを受ける。それがきっかけになりアクセンチュアに勤務、その後先輩たちと会社を立ち上げるが、“見事”に失敗してしまう。

第9回
リクルートを辞めて独立した小岸弘和は、ひょんなことから赤字の結婚式場運営会社の再建を託される。しかし小岸の思いは社員に伝わらない。窮した小岸は従来の全7店舗を閉鎖するという荒療治に出る。

第7回
次々に不可能を可能にしてきた岩崎が挑んだ次のテーマは、コンビニで旅行商品を販売することだった。しかし、やはりここでも運輸省(現国土交通省)の高い壁が待ち受けていた。

第6回
18歳で旅行業界に身を投じた岩崎安利は20歳で独立。その後アイデアと持ち前の行動力で不可能といわれたことを次々可能にしてきた。業界が大不況下の今、『高付加価値路線』という秘策を胸に成長戦略を練り上げている。

第5回
世界企業GEのデジタルカメラの独占販売権を持つジェネラル・イメージング社の日本法人ジェネラル・イメージング・ジャパン。その社長、小宮弘(67歳)はブリヂストン、オリンパスを経た異色の経歴を持つ経営者だ。

第4回
ホテルや車の内装に美しい木目が使われているのを良く見るだろう。これは天然の原木に様々な加工を施し、極めて薄くスライスしたもので「ツキ板」と呼ばれる。北三はそのツキ板の製造・販売で日本を代表する企業だ。

第3回
「椿屋珈琲館」「ダッキーダック」などの東和フードサービスやパチンコ「UNO」の東和産業を含む東和ジェイズグループは、岸野禎則が創業して育て上げた。33年連続増収だったが、デフレと不況が直撃してしまった。

第2回
会社が危機的状況の中、社長に就任した美恵子は、経営の勉強と営業のために様々な勉強会へ参加した。そこで、「銀座テーラー第2の創業」と題し、会社の再生を担ってくれる人物に出会う。それが現在の専務である。

第1回
政財界人など日本のトップ層を顧客に持つハンドメイドオーダー紳士服の老舗・銀座テーラーは、バブル崩壊後、経営危機に陥った。それを救ったのは家庭の主婦だった2代目社長の夫人、鰐渕美恵子だった。
