住宅や投資家向けの物件販売を行う「分譲事業」の比重が大きい三井不動産。「賃貸事業」が収益の柱の財閥系の中では異色だ。だが市況の低迷で、それも変化を余儀なくされている。

「カネを使うな。頭を使え」──。

 1970年代、中興の祖・江戸英雄元会長とともに、三井不動産を業界の盟主に押し上げた坪井東元社長は、決まって社内にこうハッパをかけたという。

「丸の内に広大な不動産を保有する三菱地所と比べ、めぼしい資産がないというコンプレックスは昔からずっと社内にあった」(幹部)という三井不動産。今も「賃貸事業」の営業利益水準は、三菱地所よりも頭一つ低い(図(1))。

 ところが、三井不動産はその弱みを強みに変えた。「回転の三井」と呼ばれるのがその真骨頂。開発した不動産物件を売却して利益を稼ぎ、次の投資へとサイクルを回すことで、バランスシートをふくらませずに事業を行ってきたのだ。開発後も保有にこだわらず、持ち分を第三者に売却することもいとわない。

 また、他者の資本を用いた開発手法として、不動産証券化やSPC(特定目的会社)を通じての開発もいち早く取り入れた。三井不動産は、Jリート市場や業界団体である不動産証券化協会の立ち上げメンバーとして知られるが、証券化が目立ち始める10年以上前の80年代から、米国子会社を通じて証券化手法の研究を始めていた。

 回転の速さは多角化した事業のなかにも見て取れる。68年には大手で最も早く住宅事業に参入。一つひとつの事業規模が小さい反面、大規模開発などに比べれば資金回収が早い点に目をつけた。