ガラパゴスが問題なのは
技術開発ではなくマーケティング分野

 日本製品のガラパゴス化は問題視されることが多い。だが、技術の研鑽と革新はむしろガラパゴス的環境から生まれる。例えば、現在日進月歩のAI分野がそうだ。日本のガラパゴス的土壌から生まれる技術には、まだまだ有望なものが多いと筆者は感じている。

 問題はマーケティングのほうにあると思っている。世界的なマーケティングは日本人にとって苦手分野だと筆者は感じている。日本のガラパゴスから出た素晴らしい技術や製品を、適切に「評価」し、世界市場の可能性を示すのは日本人ではない。いつでも外国人だった。

 今、日本人は自らの「ガラパゴス化」を修正して、世界に通用する製品を作ろうとしている。そのときに「世界でウケる要素は何か」を考えすぎるあまり、失敗しているケースが多いのではないだろうか。

 もともと、日本人は評価が苦手だ。それは文化的、心理的、教育環境的な背景が複合的に作用して引き起こされている。

 端的に言えば、自己を定義するときに、他者との比較と差異化に焦点を当てる文化的土壌がない。さらに、そのような文化的背景のため、自己肯定を含む「適切な自己評価」の訓練を受ける教育環境があまりにも少ない。したがって「他者評価」もうまくできない。その結果、評価することそのものを好まないようになってしまうのだ。

 評価しなくてはならない場合には、いきすぎた批判や単なる賞賛に終始しがちになる。批判を受け取る方も、人格攻撃とみなして、落ち込んだり逆切れしたりと、感情的反応になることが多い。製品についても同様の傾向がある。マーケティングの観点から、建設的に製品評価するケースが非常に少ないように思う。

 この状態から脱してうまく「評価」を機能させることが、これからの日本には必要となるだろう。しかし、だからといって製品開発やアイディアの環境を無理に「脱ガラパゴス」しなくてもよいのではないだろうか。

 J・K・ローリングを含め世界から愛された「ネット絵師界隈ではフツーの絵」を生み出した日本のガラパゴス的土壌には、まだまだ大きな価値が眠っているのだと、筆者は希望を持っている。