波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載では話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。


大飯食うヤツは大糞を垂れる──[1995年8月]

 もはやフレックスファームはいつ倒産してもおかしくなかった。

 それでも首の皮一枚つながっていたのは、経営支援に入った岩郷氏の手腕の賜物だった。脅しまがいのクレームへの応対、火事場での資金繰り対策、口座差し押さえと裁判への対応など、絶え間なく押し寄せる難局に、周囲を巻き込みながら独自のノウハウを駆使して対応する。それは僕や福田だけでは到底太刀打ちできないケモノ道だった。

 僕たちは、危機対応を通じて岩郷氏への依存心を深めていった。

「ゆるゆると、時は流れていきますよ」

 そんな岩郷氏の口癖によって、僕たちは何度勇気づけられたことだろう。

 岩郷氏は神様が僕たちのもとに遣わした救世主だったのだろうか。いや、内実はそう単純な話ではなかった。「大飯食うヤツは大糞を垂れる」も彼の口癖だったが、彼はまさにそれを地で行く人物だったのだ。

 岩郷氏によって顧客や取引先からのプレッシャーが軽減された代わりに、僕たちは岩郷氏との交渉事に多大な労力をとられるようになった。事あるごとに約束が交わされ、頻繁に変更されて、契約書や覚書の束が積み上がる。世話になっている手前、僕もなかなか強いことは言えない。そこを見透かされていたのだ。

 岩郷氏の金銭感覚が僕たちとは大きくずれていたことも、問題を大いに複雑にした。彼がフレックスファームの経営に関与してから約2年間で、支払った報酬は億を超え、それ以外にも会社名義で高級外車や自分の居住用に青山の高級マンションを購入するなど、贅沢三昧だったのだ。

 とある金曜日の夜、外出していた福田の携帯電話に、岩郷氏から電話が入った。

「岩郷先生、どうされましたか?」

 福田が携帯に出るやいなや、威厳のある野太い声が鳴り響いた。

「おおっ、福田。ようやく捕まったか。ちょっとお前、今から芝浦のヤナセまで来いや」

 この頃の福田は、岩郷氏を「先生」と呼ぶほどすっかり心酔していた。彼の言葉には無条件に従う、忠実なしもべとなっていたのだ。

「はい。わかりました。今すぐ行きます。何かありましたか」

「まあ、ええから、すぐ来いや」

 福田は、通勤に使っていた国産車でヤナセに向かう。到着するやいなや、ヤナセの営業らしき男が駆け寄り、福田に丁重に挨拶した。

「お待ちしておりました。岩郷さまがお待ちです」

 ショールームに案内されると、待ち受ける岩郷氏とともに、数台のベンツが並んでいた。訳がわからず福田がキョトンとしていると、岩郷氏はじれったい思いをはねのけるかのように切り出した。

「おまえ、どれがいいんじゃ」

「なんの話ですか?」

 福田がはぐらかすと、岩郷氏はそこに展示してあったミドルクラスのベンツを指さして言い放った。

「じゃあ、これにせえ」

「えっ?」

 躊躇している福田を尻目に、岩郷氏はヤナセの営業マンに伝えた。

「この人が使うけえ、よろしくお願いします」

「かしこまりました」

 営業マンが手続きのために席を立つと、彼は福田に因果を含めるように語りかけた。

「なかなかええ車じゃろ」

「そりゃいいですけど、私は国産車で十分ですよ」

「それが違うんじゃ。これに乗ったら、これからも維持したい、ずっと維持しようと思いはじめて、もっと深い知恵が出てくるんよ。そういうところに自分を追い込まんとつまらんぞ」

「そういうもんですか……」

「一流の車に乗れば、違う世界が見えるし、稼ぐことに真剣になるけえの。これを見てみい」

 岩郷氏は、いかにも高級そうな時計を腕から外し、福田の目の前に突き出した。ホワイトとブルーで彩られた文字盤は天球のごとくデザインされ、ゴールドに輝く五本の針が優雅に時を刻んでいる。

「知っとるか。世界一複雑な腕時計と言われるユリス・ナルダンの大傑作、ガリレオ・ガリレイじゃ。どうかな?美しいじゃろう」

 福田は世にも複雑な工業製品を手に取り、万華鏡をのぞき込む子どものように、際立った造形美をまじまじと観察した。

「これはホントにすごいですねえ。匠の技というかなんというか。言葉にできないですね」

「じゃが、わしは単に贅沢したいから持っとるんじゃない。こうやって、一流のものを身につけることで自分自身を磨いてきたんよ。昔、貧乏した時に、二度とこんな惨めなことにはならんと、わしは自分に誓うたんじゃ」

 岩郷氏も複雑な過去を持っていた。地方の名家を追われ、自らが創業した会社を急拡大した挙句に倒産させた。そして四面楚歌に追い込まれ、監禁まがいの脅迫の末、夜逃げした経験まであるという。鉄火場を渡り歩き、命を賭けて身につけたノウハウが、彼の底知れないすごみとなっているのだ。

「なるほど、勉強になります」

 福田がいつものようにうなずくと、岩郷氏は穏やかな笑顔を見せて言った。

「じゃあ、車の荷物を載せ替えてな。気をつけて帰りんさい」

 岩郷氏はその場で購入を即決し、そのベンツは福田の車になった。もちろん社用車として会社が購入するのだが、彼の意向に逆らえる社員はいない。社長の僕にできるのは、岩郷氏の決定を後から追認することだけだった。

 購入の手続きが終わると、岩郷氏はいつものように、福田のベンツが見えなくなるまで深々とお辞儀をしながら見送った。それは人と別れる時に見せる岩郷氏独特の最敬礼だった。

 次の土曜日、買い物に行こうとマンションの駐車場に行った福田の奥さんが、真新しいベンツを見つけて驚いたことは言うまでもない。

「ローンはわずかに月10万円よ。それで優秀な人材を会社につなぎとめられるなら、安い買い物じゃろう」

 僕も岩郷氏の言葉に刺激を受け、高級外車を社用車として分割購入してしまった。彼が贅沢しているのに、自分だけ我慢するなんておかしいじゃないか。そんな人間として情けない心情が大いに働いた。支離滅裂な放漫経営だった。今となっては自分自身の未熟さに腹が立つばかりだが、当時はそんなこともわからないほど、まわりが見えていなかった。僕は経営者として明らかに失格だった。

 岩郷氏の剛腕ぶりで売上は堅調だった。おかげで資金はどうにか回るようになったが、彼が持っていくお金も半端なかった。最初は債務整理のために入った岩郷氏だが、次第に彼自身が債務の原因となり、フレックスファームの借金はみるみるうちに膨らんだ。本人にも自覚があったはずで、福田には「(フレックスは)生かさず殺さず」と漏らすこともあったようだ。

 岩郷氏の存在は、明らかに僕たちの手にあまるようになっていた。(つづく)

(第14回は1月18日公開予定です)

斉藤 徹(さいとう・とおる)
株式会社ループス・コミュニケーションズ代表 1961年、川崎生まれ。駒場東邦中学校・高等学校、慶應義塾大学理工学部を経て、1985年、日本IBM株式会社入社。29歳で日本IBMを退職。1991年2月、株式会社フレックスファームを創業し、ベンチャーの世界に飛び込む。ダイヤルQ2ブームに乗り、瞬く間に月商1億円を突破したが、バブルとアダルト系事業に支えられた一時的な成功にすぎなかった。絶え間なく押し寄せる難局、地をはうような起業のリアリティをくぐり抜けた先には、ドットコムバブルの大波があった。国内外の投資家からテクノロジーベンチャーとして注目を集めたフレックスファームは、未上場ながらも時価総額100億円のベンチャーに。だが、バブル崩壊を機に銀行の貸しはがしに遭い、またも奈落の底へ突き落とされる。40歳にして創業した会社を追われ、3億円の借金を背負う。銀行に訴えられ、自宅まで競売にかけられるが、諦めずに粘り強く闘い続けて、再び復活を遂げる。2005年7月、株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルシフトの提唱者として「透明な時代におけるビジネス改革」を企業に提言している。著書は『BE ソーシャル 社員と顧客に愛される 5つのシフト』『ソーシャルシフト─ これからの企業にとって一番大切なこと』(ともに日本経済新聞出版社)、『新ソーシャルメディア完全読本』(アスキー新書)、『ソーシャルシフト新しい顧客戦略の教科書』(共著、KADOKAWA)など多数