波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載ではいち早く話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。
社員による資産の横流しが発覚──[1993年2月]
借り入れによって資金繰りが一時的に楽になり、ホッとしたのもつかの間、僕たちを取り囲む経営環境は、さらに風雲急を告げていた。
業界団体を通じて明らかになった新たな規制内容は非常に厳しいもので、伝言ダイヤルやアダルト番組を利用したいユーザーは申し込み制になるという内容だった。わざわざNTTに行って利用者登録しないと番組が使えないようになるのだ。手間がかかるうえに、匿名だから利用していたユーザーが離反するのは明らかだった。規制が実施されれば、市場は半減どころではすまないだろう。
僕たちは恐怖を込めて、規制実施の日を「Xデー」と呼んだ。時限爆弾はいつ落とされるのか。業界内では噂が噂を呼び、設備投資への意欲も大きく減退した。経営幹部には緊張が走り、それが社員にも伝播してゆく。ほんの数ヵ月前まで、ベンチャー特有の熱気に包まれていた社内の雰囲気は悪くなる一方だった。
そんなある日、技術の中核社員となっていたタケが、福田に気になる報告をあげてきた。
「福田さん、会社のなかで悪いことをしている人がいます」
「え? どういうこと?」
福田は、タケの意図がわからずに尋ね返した。
「仕事をしないで、会社の資産を横流ししているようです」
「それはホントか?」
「はい。それで昨日、彼らのパソコンの利用履歴を見たら、オウムネットというところにアクセスしていることがわかりました」
驚くべき告発だった。彼らがアクセスしていた先はオウム真理教のウェブサイトだったのだ。
当時、オウム真理教は坂本弁護士一家殺害事件などの関与を一部で疑われていたものの、まだ犯罪組織とまでは認定されず、疑惑の新興宗教と見られていた。格安のパソコンショップ「マハーポーシャ」を設立し、コンピュータ技術者に浸透を試みていた頃だ。
タケからの情報をもとに福田が調査すると、さまざまな事実が発覚した。十五名ほどいた技術系社員のうち、四名がオウム真理教の熱心な信者だったのだ。彼らは社員紹介ということで次々と入社し、中核的な立場でシステム開発をこなす傍ら、社内で布教を進めていた。
致命的だったのは、彼らが会社の資産である音声応答システムをオウム真理教に横流ししていたことだった。購買や在庫管理を担当する社員まで信者となっており、一台数百万円で販売しているシステムが数台横流しされたことが判明した。資金流出が早まった原因は、実はここにもあったのだ。
横流しの証拠を押さえた僕たちはすぐに動いた。開発陣を統括していた福田が、彼らのリーダー格に退職を促した。
「会社の資産を横流ししたことが発覚した以上、ここに残って働いてもらうのは無理だ。今までがんばってもらったので、辞表を書けば、警察には言わないことにするよ」
「わかりました」
福田の苦渋の申し出に対して、リーダーは無表情にそう応えた。あまりにあっけない返事だったが、彼の退職はそのひと言であっさり決まった。
だが、問題はそれだけに止まらなかった。数時間後、別の打ち合わせから戻った福田のデスクの上には、なんと10通もの退職届が並んでいた。知らないうちにオウム真理教はそこまで社員に浸透していたのだ。
技術陣に大きな穴が空いてしまった。弱り目に祟り目とはこのことだ。経営難のなかで突然発生したトラブルに、僕も福田も呆然とするしかなかった。
現金が底をつく──[1993年4月]
「今月末の支払い、どう工夫しても足りません。どうしましょう」
青ざめた経理担当者から報告を受けたのは、1993年4月のことだった。
ついに僕たちは支払うべきものを約束通りに支払えなくなった。資金繰りが破綻したのだ。人件費、家賃、機器仕入費、外注費、広告費、一般経費、そして税金や社会保険など、すべてを支払うと手元資金が足りなくなる。来月、再来月と見通しはさらに暗く、支払えない金額が雪だるま式に増えていくだろう。
「わかった。なんとかするよ。不安が広がるから、このことは社員には内緒にしてね」
僕はそう答えるだけで精一杯だった。
何があっても社員の給与だけは支払い続けるつもりだったが、会社が倒産してしまえば、それも果たせない。連帯保証人をしている僕個人も破産するしかない。差し押さえ、裁判、競売、倒産、破産……。これから先、どんな悪夢が待ち受けているのか。
「やっぱり噂は本当なの?もしかして、フレックスは倒産するんじゃない?」
手元資金が足りないことは僕と福田、それに経理担当者しか知らなかったが、勘のいい社員は薄々気づいていたはずだ。事実、一人、二人と退職者も出はじめた。
それでも資金難の実態を社員に明かすことはできなかった。リアルな数字をオープンにすれば、どんな混乱が起きるのか予想もつかなかったからだ。
僕には自分の弱みをさらけ出す勇気がなかった。表面上は伸び盛りのベンチャー経営者を演じていたが、フレックスファームを取り巻く逆境は、すでに僕の経営者としてのキャパシティを超えていた。いったい何から手をつければよいのか、未熟な僕にはそれさえわからなかった。もはや、倒産を待つだけなのか――。僕の心のなかには、不安と恐怖が渦巻いていた。(つづく)
(第11回は1月11日公開予定です)
斉藤 徹(さいとう・とおる)
株式会社ループス・コミュニケーションズ代表 1961年、川崎生まれ。駒場東邦中学校・高等学校、慶應義塾大学理工学部を経て、1985年、日本IBM株式会社入社。29歳で日本IBMを退職。1991年2月、株式会社フレックスファームを創業し、ベンチャーの世界に飛び込む。ダイヤルQ2ブームに乗り、瞬く間に月商1億円を突破したが、バブルとアダルト系事業に支えられた一時的な成功にすぎなかった。絶え間なく押し寄せる難局、地をはうような起業のリアリティをくぐり抜けた先には、ドットコムバブルの大波があった。国内外の投資家からテクノロジーベンチャーとして注目を集めたフレックスファームは、未上場ながらも時価総額100億円のベンチャーに。だが、バブル崩壊を機に銀行の貸しはがしに遭い、またも奈落の底へ突き落とされる。40歳にして創業した会社を追われ、3億円の借金を背負う。銀行に訴えられ、自宅まで競売にかけられるが、諦めずに粘り強く闘い続けて、再び復活を遂げる。2005年7月、株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルシフトの提唱者として「透明な時代におけるビジネス改革」を企業に提言している。著書は『BE ソーシャル 社員と顧客に愛される 5つのシフト』『ソーシャルシフト─ これからの企業にとって一番大切なこと』(ともに日本経済新聞出版社)、『新ソーシャルメディア完全読本』(アスキー新書)、『ソーシャルシフト新しい顧客戦略の教科書』(共著、KADOKAWA)など多数