波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載ではいち早く話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。
巨漢のコンサルタント──[1993年4月]
「彼を紹介していいかどうか迷ったんだけどね。ある地方で力を持つ一族の出身で、とにかく特殊な人なんだ。今の状況を察するに、毒をもって毒を制するというか……」
僕の窮状を心配した知人の、すこし遠慮がちな口利きで、経営コンサルタントの岩郷政義氏が祐天寺にあったフレックスファームのオフィスを訪れたのは、資金ショートを起こした1993年4月も終わりのことだった。
「岩郷と申しますが、斉藤さん、おられますか?」
独特のイントネーションに、ゆったりとした口調。身長180センチ、体重100キロを優に超す巨漢。入り口で応対したのは福田だったが、挨拶しただけで尋常ではない雰囲気が伝わったという。
それが岩郷氏との出会いだった。年齢的にも僕よりひと回り上だった彼は、巧みな話術であっという間に人心を掌握する能力を持っていた。初対面だったにもかかわらず、僕はなぜか岩郷氏に心を開くことができた。
ダイヤルQ2バブルに乗って急成長したこと、社会問題となり成長軌道が止まったこと、顧客からのクレームに悩まされていること、社員に不安な思いをさせていること、資金が底をつき回復のメドが立たないこと……。岩郷氏はそれらを穏やかな笑顔で聞いてくれた。誰にも相談できずに苦しんでいた僕は、気がつくと逼迫した経営状況のすべてを、はじめて会った岩郷氏に打ち明けていた。
僕の話が終わった時、彼はゆっくりと、意外な言葉を口にした。
「社長、大丈夫、わしにまかせなさい。見事に解決してあげよう」
その声は驚くほど力強く、不思議な説得力で僕の全身を貫いた。明日がまったく見えない不安。何か起きるか想像もできない恐怖。奈落の底にひとり落とされたような孤独感。絶望の淵に追い詰められた僕にとって、彼の力強い言葉、確信に満ちた笑顔は、地獄の業火に焼かれて苦しむ罪人に釈迦が垂らした一本の蜘蛛の糸のようだった。
「ぜひお願いします。会社の立て直しに力を貸してください」
僕はこの日、ルビコン川を渡った。出会ったばかりで、素性もよくわからない人物にすべてを預ける決断をしてしまったのだ。この先どうなるのか、自分でもわからない。だが、もう後戻りすることはできなかった。
翌日から岩郷氏はさっそく動き出した。2名の部下を連れてフレックスファームに乗り込んできて、顧問の肩書きで僕たちの会社を調査しはじめたのだ。独特の風貌に、響きわたる大きな声、なにより周囲を威圧する彼の存在感に恐れをなし、すぐに社内から拒否反応が出た。他の取締役に相談もなしに、僕一人の判断で彼に経営参画を依頼したのだから当然だ。
六名いた取締役の大半は岩郷氏の顧問就任に反対だった。だが、彼らにこの窮状を打開する腹案があるわけではなかった。会社の危機に対する認識にも大きな隔たりがあった。役員の反対を押し切ってでも、わずかでも復活の可能性があるならそれに賭けたい。それが、その時の僕の偽らざる心境だった。
幻の社長解任動議──[1993年5月]
岩郷氏が入った直後のゴールデンウィークに、僕と福田を除いた4名の取締役がひそかに会合を開いていた。僕を解任して福田を代表取締役にする相談をするためだ。
福田は当時、技術を統括する専務で会社のナンバー2、現場の社員たちから慕われる兄貴分的な存在だった。僕がやんちゃな立ち回りをする分、なだめ役として、現場との意思疎通をはかるのが彼の立ち位置となっていた。
僕に反旗を翻した4人をリードしたのは、営業を統括するナンバー3の専務だった。彼は福田に電話をかけ、取締役4人の総意として、こう告げた。
「福ちゃん、斉藤さんはもう狂ってしまった。とても経営をまかせられない」
切迫した電話を受けて、福田は返答に困って切り返した。
「そうですか。会社が危険な状態にあることは間違いないので、まずは斉藤と話してみます。それからいろいろ考えましょう」
いったん電話を切ると、福田はすぐに僕に電話をかけてきた。その日のうちに、二人は社内で打ち合わせをした。
「何もしないで会社が潰れるまで待つなんて僕にはできない。危ない賭けなのはわかっている。でも、今の僕には岩郷さんにお願いするしか選択肢がないんだ」
僕は自分の思いの丈を訴えた。目には涙があふれかけていた。そんな僕を見たのははじめてだと、福田はのちに僕に言った。そして「せめてお前だけは信じてほしい」という僕の最後の言葉に、福田は小さく「わかった」と言ってうなずいた。大げさなそぶりこそ見せないが、その顔には確かな決意がにじんでいた。
翌日には、岩郷氏を加えた三人で南青山のデニーズに集まり、打開策を練った。現状を客観的に見れば、残念ながら、フレックスファームは現取締役の力量では挽回不可能なところまで追い込まれたと認めざるを得ない。岩郷氏の力を借りるしかない。現場の混乱を知り尽くした福田の結論も同じだった。
ゴールデンウィークが明けた直後から、岩郷氏主導のもと、矢継ぎ早に危機対策が実行に移された。新大阪と銀座にあった事務所を解約。給与水準も一般企業並みに落とし、三段階の固定給を改め、能力給を取り入れた。すぐに3名の役員から辞意が表明され、それに伴って数名の社員も退職した。結果的に、取締役会における僕の解任動議は幻と消えた。
一連の出来事で残った社員は10名ほどとなり、売上高は月2000万円を切るところまで落ち込んだ。一方で、銀行からの借入残や取引先への未払金は一億円を優に超えていた。僕たちは追い詰められていた。(つづく)
(第12回は1月13日公開予定です)
斉藤 徹(さいとう・とおる)
株式会社ループス・コミュニケーションズ代表 1961年、川崎生まれ。駒場東邦中学校・高等学校、慶應義塾大学理工学部を経て、1985年、日本IBM株式会社入社。29歳で日本IBMを退職。1991年2月、株式会社フレックスファームを創業し、ベンチャーの世界に飛び込む。ダイヤルQ2ブームに乗り、瞬く間に月商1億円を突破したが、バブルとアダルト系事業に支えられた一時的な成功にすぎなかった。絶え間なく押し寄せる難局、地をはうような起業のリアリティをくぐり抜けた先には、ドットコムバブルの大波があった。国内外の投資家からテクノロジーベンチャーとして注目を集めたフレックスファームは、未上場ながらも時価総額100億円のベンチャーに。だが、バブル崩壊を機に銀行の貸しはがしに遭い、またも奈落の底へ突き落とされる。40歳にして創業した会社を追われ、3億円の借金を背負う。銀行に訴えられ、自宅まで競売にかけられるが、諦めずに粘り強く闘い続けて、再び復活を遂げる。2005年7月、株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルシフトの提唱者として「透明な時代におけるビジネス改革」を企業に提言している。著書は『BE ソーシャル 社員と顧客に愛される 5つのシフト』『ソーシャルシフト─ これからの企業にとって一番大切なこと』(ともに日本経済新聞出版社)、『新ソーシャルメディア完全読本』(アスキー新書)、『ソーシャルシフト新しい顧客戦略の教科書』(共著、KADOKAWA)など多数