9・11が刻み込んだ「傷」は、次の世代にも引き継がれるのか?

 それは、悲劇的なほどすがすがしく晴れたニューヨークの火曜日の朝に起きた。2011年9月11日、2600人を超える人々がニューヨークの貿易センタービルの中や周辺で命を落としたのだ。そして襲撃を間近で見た多くのニューヨーカーたちが深刻なトラウマを被り、何か月も、何年も、心的外傷後ストレス症候群(PTSD)に苦しめられることになった。

 レイチェル・イェフダは、ニューヨークにあるマウントサイナイ医科大学、心的外傷後ストレス障害研究部門の教授だ。彼女にとって、この悲惨な出来事は、ユニークな科学的研究の機会となった。

 イェフダは、PTSDを抱える人々は、ストレスホルモンであるコルチゾールの血中濃度が低いことを前から知っていた。最初にこの現象に気づいたのは、1980年代に退役軍人を調査したときである。そのため、9月11日当日にツインタワーの中または近くにいた妊娠中の女性たちから唾液の検体を集めたとき、彼女には、どこから手をつけるべきかがわかっていた。

 実際、最終的にPTSDを発症した女性たちのコルチゾールのレベルは有意に低かった。そしてそれは、その後生まれてきた赤ちゃんも同じだったのである。とりわけ、テロが起きたときに妊娠第3期(7か月〜9か月)だった女性の赤ちゃんでは顕著だった。

 当時赤ちゃんだった子供たちも、今では大きくなっている。イェフダと同僚たちは、彼らにテロが与えた影響を今でも追跡調査しており、トラウマを抱えた母親から産まれた子供たちは、そうでない子供たちより動揺しやすいという事実をすでに証明している

 これらは何を意味するのだろうか? 動物実験の結果を併せて考えると、たとえセラピーを求めてトラウマを克服し、気持ちを切り替えてずっと時が経ったと思ったあとでも、遺伝子は経験したことを忘れていないと結論づけてよさそうだ。ぼくらの遺伝子は、過去のトラウマを依然として心に刻み込んで維持しつづけるのだ。

 さらに、訊かずにはいられない疑問がある――果たしてぼくらは、いじめだろうが、同時多発テロだろうが、経験したトラウマを遺伝子に刻んで次の世代に引き継いでしまうのだろうか? これまでは、遺伝子コードにつけられたエピジェネティックなマークや注釈は、ちょうど楽譜の余白に書かれたメモのように、ほぼすべてきれいに消され、妊娠前には除かれているものと考えられていた。しかし、メンデル遺伝が過去のものになりつつあるなか、それは事実とは違うということをぼくらは学びつつある。

 もうひとつわかってきたのは、胚の発生時に、エピジェネティックな影響を受けやすい時期があるということだ。こうした重要な時間枠に、栄養不足のような環境的ストレス要因が加わると、特定の遺伝子がオンまたはオフになって、エピゲノムに影響を与えるのだ。そう、ぼくらの遺伝的継承物は、胎児期の極めて重要な時点で刷り込まれるのである。

 こうした時点がいつであるのかは、まだだれも正確には知らない。だから、今や妊娠中の女性たちには、妊娠期間中は食べるものやストレスのレベルに常に気をつけなければならない遺伝子的な動機ができたわけだ。今では、妊娠中の母親の肥満が赤ちゃんに代謝の再プログラミングを引き起こすことにより、赤ちゃんに糖尿病をはじめとする疾患の素地を作り出す危険性があることまで明らかになっている。これは、妊娠中の女性にふたり分食べるという考えを改めさせるべきだという、産科および母体胎児医学界で主流になりつつある動きを裏づける証拠だ。

遺伝子によいインパクトを与える人生を

 とはいえ、遺伝とは何を意味するのかについて、そして自分が遺伝によって受け継いだものにインパクトを与える方法について多くのことを学んできたぼくらは、もはや無力ではない。そうしたインパクトには、よいインパクト(ほうれん草とか)もあれば、悪いインパクト(ストレスもそのひとつ)もある。自分が受け継いだものから完全に自由になれない場合もあるだろうが、学べば学ぶほど、自分の意志で選択することが、自分にも次の世代にも、そしてさらにずっと将来の子孫にも大きな違いを生み出すことになるのがわかるだろう