「生命とは何か」その答えを探し続けている福岡伸一教授に、今、生物学で一番注目されているエピジェネティクスについて、全3回で語っていただきます。動的平衡とエピジェネティクスはどうリンクするのでしょうか。
親から子に伝わるのは遺伝子だけではない
――エピジェネティクスとは何でしょうか?
言葉の定義から説明すると、「エピ」は外側とか離れてという意味で、「ジェネティクス」は遺伝学です。つまりエピジェネティクスは、従来考えられていた遺伝学の外側で働いている力というか、外側で働いている仕組みを研究するものです。これまで見落としがちだった遺伝学の外側にあるものに、新たに光を当てようということですね。
従来の遺伝学はある種の遺伝子万能論のようなもので、リチャード・ドーキンス氏の利己的遺伝子論などが有名です。遺伝子は、自分を複製するという生命の究極の目標のためにあり、そのためにすべてのことは最適化されて、生物は適応的に進化してきたと考えていたわけです。
例えば親にA、B、Cという遺伝子があったとしますよね。それはそのまま親から子に遺伝するので、子供もA、B、Cという遺伝子を持ち、親と同じことが起きます。親の世代で体を鍛えて筋骨隆々になっても、それは遺伝子A、B、Cには変化をもたらしていないわけです。子供の世代に遺伝子A、B、Cが移れば、いったんリセットされ、どういうふうに筋肉が動くかということはまた子供の環境で変わっていきます。
もし、子供の世代に何か特別な変化が起こるとすれば、それはAという遺伝子がA’という遺伝子に変わった場合である、つまり遺伝子に何か変化が起きないと遺伝的なものとしては伝達されないと従来の遺伝学は考えてきました。
そのこと自体は正しいんです。A遺伝子からA’遺伝子への変化は、ちょっとした書き間違いレベル、文字列がコピーされる時に「てにをは」が違ってしまったくらいのことです。それが突然変異なのですが、偶然でも変わり得るし、化学物質や発癌物質、放射線や紫外線の影響でも変わり得ます。遺伝子AがA’に変わるような変化は遺伝します。子供の世代に違った働きをもたらすかもしれないし、もたらさないかもしれないのですけれども、とにかく遺伝子の上に起こった突然変異だけが生物を変える唯一の力だというふうに、これまでの遺伝学は説明してきたわけです。