「チャンス」が来たら真っ先に飛び乗る

 なぜ、「勝てる場所」なのか?
 当時のシンガポールの靴のマーケットが、極端に二極化していたからです。現地製の低価格の靴が日本円で2000~3000円ほどである一方、スイス製の高級輸入靴はだいたい1万5000円ほど。輸入靴と現地製の靴の間に大きな落差があったのです。

 では、日本製の靴はどうか? シンガポールに輸入すれば、およそ4000~5000円ほどの販売価格に設定できるとはじき出しました。つまり、現地のマーケットにぽっかりと空いた「ブランクスペース」に見事にはまるということです。

 しかも、現地製の靴は、価格は安いけれども、履き心地が悪いうえにデザイン性にも乏しい。はるかにファッショナブルで人間工学に基づいて設計された日本製の靴は、品質において圧倒的に優れていたのです。

 だから、私は、専務に連絡をとって、「おもしろいと思います。勝算があります」と伝えました。すると、専務がこう言ったのです。「小西君も、出資しなさい」。合弁会社をつくって、現地のオペレーションを私に任せたいとおっしゃるのです。

 これは千載一遇のチャンス。しかし、一瞬躊躇しました。なぜなら、出資するとなると半端な額ではありません。独立以来、本業が黒字ギリギリのなか、コツコツと貯めてきた資金をはたく必要がある。もしも、失敗したら……。そんな不安がよぎったのです。
 しかし、「いま」を逃したら、チャンスは消えてなくなってしまう。相手は、日本の最大手靴店チェーンです。私でなくてもパートナーはいくらでも見つけられるでしょう。だから、私は即座に出資を決断。ハイリスクを取りに行ったのです。

 すぐにシンガポール政府と交渉して、「100%外資の企業」として設立認可を取り付けました。そして、靴店が51%、私が49%という出資比率で合弁会社を設立。私が会長に就任し、靴店が社長として派遣する若い男性を監督する立場になりました。