「幸運」は思いも寄らないところから訪れる
では、根源的に重要なこととは何か?
そのお話をするために、私の最初の成功体験を紹介しましょう。
私が独立したのは、29歳のとき。当時のマレーシアのペナン島には、2階建てのショップハウス(2階が住居で階下が商店の建物)がたくさん建っていました。その1階に商店をもっていた華僑の出資者に、机と電話を置かせてもらって仕事を始めたのです。
滑り出しはよかった。これまでの顧客や主要取引先がみんな私を支援してくれたのですから当然です。これまで以上に、彼らに「得」を提供すべく、営業、経理、書類作成などすべての仕事を自力でこなしていきました。
しかし、すぐに暗雲が立ち込めました。第一次石油危機です。染料や化学品の輸入販売という仕事はBtoBですから、景気の影響をモロに受けます。そのため、世界的な不況に飲み込まれて、必死に働いても黒字をギリギリ維持するのが精いっぱい。鳴かず飛ばずの時期がしばらく続きました。ところが、まったく思いも寄らないところからチャンスが舞い込みました。それは、本業とはまったく関係のない、日本製の靴の小売事業でした。
きっかけは、シンガポール染料商社時代に遡ります。
当時、私の主な仕事は、日本から染料を輸入してシンガポールとマレーシアで販売することでしたが、それ以外にも、シンガポールの製品を日本に売り込む仕事も手掛けていました。そのため、染料とはまったく関係のない日本企業にも次々とアプローチ。そのなかに、日本最大の靴小売店チェーンがありました。シンガポール製のファッショナブルなサンダルを扱ってもらおうと考えたのですが、残念ながら、そのときはビジネスとして成立させることはできませんでした。
しかし、その靴店の専務にたいへんかわいがっていただきました。日本に帰国するときには、必ずご連絡を差し上げるようにしていたのですが、いつも「顔を出しなさい」と温かく迎え入れてくださいました。私は、その高い見識に触れておおいに刺激を受けるとともに、国内最大の靴店チェーンの専務でありながら、私のような若者にも真摯(しんし)に接してくださる姿に尊敬の念を深めていました。
そんなある日、その専務からこんな相談を受けたのです。
「実は、いま日本で店舗を拡大しているデパートから、シンガポールに進出するので出店してほしいと言われているんだ。小西君はどう思う?」
いつもお世話になっているので、「調べますので、少しお時間をください」と言って、すぐさまシンガポールの靴業界について調査を開始。「これは、おもしろい」と思いました。そこが「勝てる場所」であることに気づいたのです。