「一流」になるために磨くべき、「人間関係」・「仕事」・「運」・「お金」・「自由」・「生き方」とは。映画監督、ライフスタイル・プロデューサー、生活探検家と、幅広く活躍する浜野安宏(はまの・やすひろ)氏による「提言」を、書籍『一流の磨き方』より、一部、抜粋して紹介する。「本物」を知る人だけが、本物になれる!
自由になるためには、
「孤独」である必要がある
ドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアーは、
「孤独を愛さない者は、自由をも愛さない者というべきだ。というのは、人は独りでいる間だけが自由だからである」(『幸福について―人生論―』新潮文庫より引用)
と述べていますが、私も、同じ考えです。
私は仲間とトレッキングやキャンプに出るときも「ワンマン・ワンテント」(各自がひとり用テントを使用する)が基本です。大人数向けのテントを持っていくことはありません。
キャンプをしていると、たとえ仲間でも、たとえ恋人同士でも、たとえ家族でも、意見が食い違ったり、仲違いするときがあります。
そんなとき、テントがひとつしかないと、ものすごく狭い空間で、気まずい相手と身を寄せ合わなければならない。それは、「自由」ではありません。
けれど、「ワンマン・ワンテント」なら、煩わしさから逃れることができます。
「この相手と一緒にキャンプを続けるのは、苦しい」と思うのなら、仲間と違う行動を取ることもできます。
仲間が西に行くのなら、自分は東に行くこともできます。自分だけその場に残って、1日中、釣りを続けることだってできます。
「『○○○がしたい』と思ったときに、それを、わだかまりなく、気兼ねもなく、かなえる立場に身を置くことが『自由』ということ」です。
最近では、キャンピングカーで旅行をする家族も増えています。
時間を気にせず、好きなときに、好きな場所へ旅行ができるのですから、家族みんなで「自由」を楽しむ手段として、キャンピングカーが注目されているのも、わからないわけではありません。
ですが、私にとってそれは自由ではないのです。
なぜなら、「家族という縛りの中で、そのまま移動しているだけ」に過ぎないからです。
「みんなで助け合おう」「誰かに引っ張ってもらおう」という考えの中には、どこか甘えがある。
誰かに依存しているかぎり、「本当の自由」は訪れないのではないでしょうか。
1988年ごろ、私はワイオミング州の「ジャクソン・ホール」というところに、家を建てました。
それから毎年、夏の間、1カ月は、ログハウスで過ごしています。
目の前にグランドティトン山があってスネーク・リバーが流れていて、空港に5分、街には15分で行ける場所です。
グランドティトンの麓で過ごす1、2カ月間は、私にとって、本当に自由な時間です。
仕事からも、家族からも離れ、地元のコミュニティーとも接触せず、たったひとり、孤独を楽しみます。
釣りをするのもしないのも、カヌーをするのもしないのも、登山をするのもしないのも、食事をするのもしないのも、寝るのも寝ないのも、すべて自由です。
私の場合、1、2カ月間、ひとりの時間を持つことによって、より多くのものが見えてきます。
目の前のものが全部、自分のものだと思えるようになって、夕陽でも、朝陽でも、鳥の声でも、川の流れでも、自分と対話をしているように思えてくるのです。
こうした気分になれるのは、すべてにおいて「自由(フリー)」になっているからです。都市にいたら、いろいろなものに束縛されて、自然と対話する機会は持てないでしょう。
自由と孤独は、自分を育て、自分を強くする「源泉」なのです。
「本当の自由には、孤独が伴うもの」だと私は思います。
なぜなら、孤独ではない状態、つまり自分の行動に影響を与える誰かがいると、自分の行動が制限されるからです。
自由とは、「今、やりたいこと」を気兼ねなくやれることであり、そのためには、孤独である必要があるのです。
他人に気をつかったり、相手を満足させるためだけに時間を使っていたら、自分が満足することに時間を使うことはできません。
今、幸せになるためには、「孤独である必要がある」のです。
貴重な夏の休暇まで、普段、付き合っている人とだけ会うなんて、どんな高級リゾートであっても、「一流の生活人」とは言えないのです。