【戦後80年】目黒区の住宅街に残る「兵士の食料保管庫」、現代の住民を支える意外な活用法とは?戦争遺跡は東京の各地に残されている Photo by Satoshi Tomokiyo

今年も終戦記念日に合わせて、当時の記憶をひもとくさまざまな番組が放送されている。しかし、往時の資料を漁らずとも、戦争の傷跡は意外と身近なところにも遺されている。そこで本稿では、東京都内の戦争遺跡を巡る散策ツアーを試みた。(取材・文・写真/フリーライター 友清哲)

都会の喧騒のど真ん中に残る
惨禍の爪痕

 第二次世界大戦の終結から、80年の節目を迎える今年。当時10歳の少年少女は、存命であれば90歳に達することになり、戦時中の確かな記憶に耳を傾ける機会は、これまで以上に貴重なものになりつつある。

 戦争の記憶や記録を後世に伝えることは、過ちを繰り返さないためにも極めて重要なこと。ならば、戦争体験者が次々に退場しつつある令和の世においては、各地に点在する遺構からより多くのことを学ぶべきだろう。

 そして戦争遺跡とは、意外と身近に存在するものである。たとえば都内に的を絞ってみても、まず表参道の交差点に立つ灯籠に、戦禍の痕跡が見て取れることをご存じだろうか。

 待ち合わせスポットとして定番化しているこの大きな石灯籠、よく観察してみると台座の一部が黒ずんでいるのがわかる。

【戦後80年】目黒区の住宅街に残る「兵士の食料保管庫」、現代の住民を支える意外な活用法とは?表参道交差点に立つ石灯籠。いまも空襲で生じた黒ずみが見て取れる

 これは1945年の5月24日から25日にかけて起きた、「山手大空襲」によって生じた傷跡である。飛来した約1000機のB-29が、2日で6000トン以上もの焼夷弾を投下したもので、黒ずみは煤の汚れではなく、犠牲になった人々の血が染み込んで生まれたものとされている。

 いまではすっかり日常の風景に溶け込んでおり、言われなければ意識することすらない痕跡だが、これも立派な戦争遺跡のひとつだ。