女性や外国人など、多様な人材を活用しきれていない状況を、いまだに多くの日本企業は引きずったまま。彼らの活躍を阻む日本のオヤジたちは、「ホモソーシャル」で「マゾ」だ。(東京大学東洋文化研究所教授 安冨歩)
女性と外国人は特記事項!?
東大学生も差別意識に疑問を持たず
Photo by Kazutoshi Sumitomo Hair&Makeup by Chise Fujioka
女性や外国人など、多様な人材を活用しましょう――。そんなスローガンは、もう何十年も前から耳にしますが、いまだに多くの日本企業で主流派として君臨しているのは、4年制大学卒業の日本人の男たち。女性や外国人で、彼らよりも高い能力を発揮する人はいくらでもいるはずですが、トップはおろか、経営幹部になることも稀というありさまです。
先日、日本生産性本部で講演したときに伺ったのですが、そこで行っている新任の取締役・執行役員向けのコースは、年4~5回開催され、毎回40~50人が参加するのですが、ここ10年で女性の参加者は計10人以下とのことです。数年に一度、1~2人参加されるというイメージです。
では、日本人男性たちが「差別してやろう」と悪意を持って女性や外国人を排除しているのかというと、そうではありません。差別意識がすっかり心の奥底にまで染みついていますから、「差別をしている」と意識すらせず、当然のように差別をするのです。差別するつもりなしにやるのが、最悪の差別なのです。
10年以上前のことですが、東大の教養学部の学生を教えていたときに、驚愕した出来事がありました。学生たちが自分たちの学科の名簿を作ったのですが、「特記事項」なる欄が設けられており、女子学生や外国人学生にだけ、「女」「中国」といった具合に注記がありました。つまり、日本人男子学生だけが、特記事項欄が白紙なのです。
私は彼らに「何を考えているんだ」と問い質しましたが、キョトンとして私を見るだけ。なぜ私が問題視しているのかが、まったくわからないといった様子でした。
彼らはもちろん、性格が歪んでいるなんてこともなく、ごく普通の好青年でした。東大の教養学部は、1、2年生のときにかなり高得点を取らないと進めない、難しい学部。しかも、彼らの所属していた地域文化学科は、民族問題などを主たる研究テーマとしており、差別については十分に教育を受けているはずです。
にもかかわらず、何の悪意もなく、こんな名簿をつくったのですから、日本人男性の心に、いかに差別意識が深く根づいているかを思い知らされました。社会常識と化しているから、疑問にすら思わないのです。
さらに付け加えれば、多くの日本企業では「4年制大学を卒業した日本人男性」のみが“正常”なのであって、そのほかは“異端”という概念がはびこっています。ここでは、「女」「中国」以外に、修士号を持つ人は「修」、博士号なら「博」として排除されてしまうわけです。