車イスに乗っている障害者から「ちょっと押してください」と声をかけ、車イスを押してもらって全国を訪れるというもので、東京の新国立競技場前からスタートし、これまで北海道や東北、北陸、中部地方を回っている。

  寺田は1990年、両親ともにスポーツ万能の家に生まれた。体育大を出た父はラグビー選手、母はダンサー。だから寺田も生まれながらにして運動神経バツグン…のはずだった。しかし、寺田には生まれつき脳性マヒがあり、足や手が満足に動かせなかったのだ。

寺田ユースケ(てらだ・ゆーすけ)/1990年愛知県生まれ。生まれつきの脳性マヒがあり、足が不自由のため車イスを使って生活している。2013年大学在学中によしもと大阪NSC36期生に。大学卒業後に上京するも、お笑い芸人をあきらめざるを得なくなり、その後、友人の一言がきっかけでホストの世界に。歌舞伎町のホストクラブ Smappa!Group「APiTS」で『クララ』として働く。現在は、車イスヒッチハイクで日本全国を駆け回る。     Photo by Y.K

「スポーツがアイデンティティみたいな両親だったので、ショックだったでしょうね」(寺田)。

 だが、そこから両親の“リハビリ英才教育”が始まる。辛いリハビリを嫌がる寺田少年に、好きなアンパンマンシールを壁に貼ったり剥がしたりといったリハビリ方法を実践し、小学校に入る頃には、自由に手を動かせるまでになっていた。

 小学4年生の頃だった。野球部に入ろうと考えていたが、足が十分に動かせないことから入部をためらっていた。そんなとき、クラスメイトがかけた「テラちゃん、野球やろう。走れないんだったら俺たちが走るから大丈夫だよ」という一言がきっかけで野球を始めることになる。

 当時、内股で脚を引きずるような歩き方で、打ったら一塁までなんとか歩き、代走を立ててもらっていたが、根底にあるのは「自分は健常者と一緒にやれるはず」という思い。もともとスポーツ万能の両親から生まれたこともあって肩は強く、打撃は他のメンバーよりうまかったほどだ。

 だからこそ、大きなジレンマを抱えていた。「打撃には自信があったのに、“走れない”っていうだけでレギュラーになれない。僕よりバッティングが下手な子がレギュラーになるのを見ていると複雑な思いはありましたね」(寺田)。

「健常者と一緒にやってやる!」という思いから、自分が参加できないランニングの時間は、ひたすら腕立て伏せをして上半身をいじめ抜いた。