中国が、2000年代に目覚ましい経済発展を遂げたのは、「女性たちの貢献」による側面が大きいと筆者は確信している。女性の社会進出を政策以上に支えたのは「阿姨(アーイー)」または「保姆(バオムー)」と呼ばれる“お手伝いさん”という存在だった。
筆者が上海で生活を始めたのは90年代後半だが、当時、目からウロコだったのは「上海の女性のたくましさ」だった。彼女たちは男勝りで、経済的に自立している者も多かった。
縫製工場の女性経営者の張士英さんもその一人だった。2000年初頭、中国の縫製工場には日本を始め世界からオーダーが殺到、現場はどこもてんてこ舞いだった。受注から出荷までの一切を仕切っていた張社長も猛烈に忙しかった。その“モーレツぶり”は、次の言葉からもうかがい知ることができた。
「出産前夜は23時まで会社で働いていました。出産を終えたのは日付が変わった午前1時、そして2時半にはベッドの上で仕事を始めていました」
中国では「有給休暇が切れる3ヵ月を目途に職場復帰するのが普通」だと言われているが、彼女は1ヵ月で職場復帰した。生来の頑張り屋的性格がそうさせたとも言えるが、中国ならではの“社会インフラ”が下支えした。中国には、出産後の妊婦と赤ちゃんの身の回りの世話をする、専門のお手伝いさんが存在するのだ。