ざっくり知っておきたい戦史
前半は快進撃だった日本軍

 意外に知られていないことですが、1941年12月に行われた真珠湾攻撃から約半年間の間、日本軍は快進撃といっていい戦果をあげている歴史上の事実があります。

 マレー半島、蘭領インドネシア、英領ビルマなどへの侵攻において、日本軍は怒涛の快進撃に成功し、石油などの資源地帯を計画よりも早く確保することになりました。

 真珠湾攻撃では戦艦8隻を撃沈させ、米軍太平洋艦隊がほぼ全滅という戦果をあげました(ただし、燃料タンクを破壊しなかったこと、米軍の空母がすべて湾の外にいたことで無傷だったことはその後の戦局に大きく影響しました)。

 海戦としてはマレー沖海戦、ジャワ沖海戦、スラバヤ沖海戦などでアメリカ、イギリス、オランダの連合海軍に圧勝しており、当時アメリカの植民地だったフィリピンの制圧にも成功。太平洋方面の総司令官だったダグラス・マッカーサーは、フィリピンからオーストラリアに避難しました。

 1942年1月~2月には現在のパプアニューギニアにあるラバウルを南雲機動部隊が攻略し、零戦の名手で有名な「ラバウル航空隊」が誕生します。

 日本軍が最初につまずくのは、1942年5月に行われた珊瑚海海戦です。この海戦では、被害艦艇数では日本軍側の勝利でしたが、当初の作戦を断念せざるを得なかったという意味で、戦略的には成功とはいえませんでした。

 そして1942年6月、ミッドウェー海戦で優勢なはずの日本軍は空母4隻を撃沈される予想外の大敗北を喫し、戦局を暗い影が覆い始めます。

日米の戦局が180度転換した
“ある島”の存在

『失敗の本質』では、日本軍の6つの作戦を詳細に分析していますが、ここではその中の1つ、ガダルカナル島を巡る戦闘について解説してみます。

 1942年8月、オーストラリアの北東にあるソロモン諸島のある島に米海兵隊が上陸し、日本軍が建設中の飛行場が占拠されました。これが大東亜戦争のターニングポイントとなった「ガダルカナル島」です。アメリカの歴史学者であったサミュエル・モリソンは「ガダルカナルとは、島の名ではなく感動そのものである」と述べ、日本人の軍事評論家、ジャーナリストであった伊藤正徳は「それは帝国陸軍の墓地の名である」と書いています。

 ガダルカナル作戦では日本陸軍の壊滅が有名ですが、実は陸戦と並行して海軍による3度のソロモン海戦が行われています。第1次ソロモン海戦は日本海軍の圧勝、第2次ソロモン海戦は両者艦艇の被害を出すも、日本はガダルカナル島への輸送を断念して戦略的には敗北。第3次ソロモン海戦では日本側の被害艦艇数も多く、飛行場奪回も失敗し日本側の明確な敗北で終わりました。

 ガダルカナル島飛行場の奪回を目指した陸戦と、その海域で行われたソロモン海戦は、約半年にわたって一大消耗戦となり、日本軍は熟練パイロットや艦船など多数を喪失。先にミッドウェー海戦で傾いた戦局が、以降に全面崩壊する大きな要因となりました。