「引きこもり」に人権はあるのか?社会の谷間でもがく人々の本音とは引きこもり経験者は、社会に出てからのほうがむしろつらい。個人に向き合った対話が必要なのだ(写真はイメージです) Photo:PIXTA

制度の谷間に置き去りにされ……
「引きこもり」が考える人権とは

「そもそも“ひきこもり”に人権はあったのか?」

 そんな根源的な問いかけをテーマに、みんなで「“ひきこもり”と人権」について考えるシンポジウムが12月に大阪で開かれる。

 企画しているのは、引きこもり経験者などの孤立者でつくる当事者団体、NPO法人「ウイークタイ」の泉翔さん(31歳・大阪府吹田市)。

 中学時代に不登校や引きこもる行為を経験してきた泉さんは、不登校だった期間、通ってはいなかったものの、フリースクールや適応指導教室などの支援があったのに、学校を卒業してしまうと何もなくなっていたことに疑問を抱いた。当時は、「居場所」という言葉がなかったものの、生きるしんどさは変わらないのに行き場所がなく、制度の谷間のようなところに置き去りにされているように感じた。

 その後、泉さんは通信制高校と予備校のダブルスクールに入って、自分と同じような人たちに出会い、場所を借りて一緒に集まろうと呼びかけた。

 こうして2005年に始まったのが、「だらだら集会」(ひきこもり当事者会)だ。雑談が得意なわけでもないし、何をやるわけでもなく、ただ生きづらさを抱えた当事者たちが見に来れるだけの場所として、今でも貸し会議室や公的な施設を借りて、毎月複数回、各地で開催している。

 2016年からは、大阪府豊中市と共催で、「もぐもぐ集会」という集まりも始めた。もぐもぐ集会とは、週末の1人夕食は孤独に襲われ、うつや不安が忍び寄るから、同じような孤独の人たち同士で一緒にご飯をつくって、みんなで食べようと毎月1回開いている会だ。「もぐもぐタイム」は、冬季五輪のカーリング娘たちの活躍ですっかり有名になったが、ネーミングはこっちのほうが先だ。

 最近では、「いろいろ集会」という企画も始めた。異なる世話人が各自の哲学でつくる「居場所」プログラムだ。