頭取といっても住友信託と合併できた暁には当然クビになる立場で、いわばワンポイントリリーフです。私自身、ずっと不良債権処理に関わってきた立場で、決してよい人選とは思えませんでしたが、誰かが引き受けなければ前には進めず長銀の幕引きもできない。腹をくくってやるしかありません。8月21日に頭取代行に就任し、翌9月29日に正式に頭取になりました。

 我々が再建計画を提出し公的資金を申請したその頃、政治も混乱していました。7月の参院選で自民党が惨敗し、責任を取って辞任した橋本首相の後を受けて小渕内閣が成立。8月25日から金融再生関連法案の審議がスタートしていました。いわゆる金融国会です。焦点は長銀が破綻しているかどうかであり、破綻しているかどうかの基準は債務超過であるかどうかでした。

 債務超過で破綻していれば金融安定化法による公的資金投入は健全行を対象としているため、公的資金は使えなくなり、破綻処理に移行せざるを得なくなります。しかし不良債権の認定の仕方によって、債務超過であるかどうかは大きく変わり得ます。つまり、債務超過であるかどうかについても、そう単純に決まる話ではないのです。

 政府・与党は破綻状態ではない長銀に公的資金を投入する方針でしたが、野党は強く反対し破綻金融機関に対する法的な処理を行う制度を設けるべきだと主張しました。

 合併後の銀行の業績が浮上すれば優先株などで投入された公的資金が返済され、国民負担にはなりません。しかし当時はより少ないコストで金融危機を収束させるという視点はほとんどありませんでした。

 金融国会は9月中旬まで議論が右へ行ったり左へ行ったり膠着しました。そして長銀の信用がかかった国会審議で1ヵ月ほど衆目を集めるところとなった結果、その間に多くの風説やフェイクニュースが流布し、長銀の信用は日を追って低下し資金繰りが困難になりました。株価もどんどん下落し、住友信託では共倒れを懸念して合併に対し慎重な意見が強まりました。

 結局、本格的な金融危機を防ぎ金融システムを安定化するプルーデンス政策が用意されておらず、審議が膠着している間に長銀の信用が最終的に毀損される結果となったのです。結局、金融国会では野党案の丸のみが了承されて長銀の国有化による破綻処理が動かないものとなり、経営破綻が確定。我々の合併への努力は水泡と帰しました。

 長銀は1952年に施行された「長期信用銀行法」に基づく銀行で、その法律が当時の池田勇人蔵相の指揮下に成立したことから自民党の宏池会と親しい関係にありました。一方、監督官庁である大蔵省は自らが与党自民党への根回しや説明を行うとして、個別の銀行が個々の政治家に依存することを極度に嫌っていたこともあって、長銀が直接宏池会に依存することはありませんでした。というよりは、大蔵省ルートを妨害しないように、直接的な動きを避けていました。