宮内健
1998年秋、日本長期信用銀行は経営破綻し国有化された。バブル崩壊など急激な環境変化に巻き込まれる中、長銀「最後の頭取」は破綻を前にどのような状況に追い込まれていたのか。長銀破綻までのカウントダウンの日々を鈴木恒男氏に聞いた。

1998年秋、日本長期信用銀行は経営破綻し国有化された。当時は「悪者たたき」に終始する感情的な議論が多く、冷静に総括されることはあまりなかった。国有化から20年、長銀「最後の頭取」である鈴木恒男氏に破綻までを振り返ってもらった。

関西地方を中心に甚大な被害をもたらした台風21号に伴い、増加しているのが損害保険の支払い請求だ。あいおいニッセイ同和損保保険では災害対応拠点を設置し、500人態勢を構築と同時にRPAを事務処理に導入。短期間で劇的な業務効率化に成功した。

第11回
大学4年生の夏、国家公務員試験一種に合格した八尋俊英さんは官庁訪問で通商産業省を訪れた。しかし官僚への道を選ばず、1989年に八尋さんは長銀へ入行した。そんな八尋さんはいま、日立コンサルティングの社長を務めている。

第11回
大学4年生の夏、国家公務員試験一種に合格した八尋俊英さんは官庁訪問で通商産業省を訪れた。しかし官僚への道を選ばず、1989年に八尋さんは長銀へ入行した。そんな八尋さんはいま、日立コンサルティングの社長を務めている。

第10回
経営大学院やビジネス教育などで知られるグロービス。同社でチーフリーダーシップオフィサーを務める鎌田英治さんは、長銀の出身だ。鎌田さんがグロービスを最初に訪れたときはまだ創業7年目で、社員も50名ほどという規模だった。

第9回
長銀OBの深沢英昭さんは2004年に東京海上グループのプライベート・エクイティ投資部門である東京海上キャピタルに参画し、翌年に社長就任し同社を牽引してきた。昨年、社長をバトンタッチし現在は会長を務める。

第8回
「いまがダントツに楽しいですね」1991年入行の長銀OB、西口敦さんはこれまでのキャリアを振り返ってそう語る。そんな西口さんからは、自力でキャリアを切り開き、自由奔放に活躍する人という印象を受けるが、長銀時代はそんなタイプではなかった。

第7回
リコーイメージング社長・赤羽昇さんは、元々長銀で世界中のホテルやリゾート、ゴルフ場などの企業再生を行ったり、アメリカの支店で活躍する敏腕銀行マンだった。そんな赤羽さんは長銀に入った理由を「どの会社でも同じ、深い意味はなかった」と振り返る。

第6回
現在、金融やコンサル業を中心にプロ人材の紹介事業を手掛けるコトラの創業経営者、大西利佳子さんは、大学卒業後に長銀へ入行。長銀破綻前後を体験した社会人歴5年、20代半ばの若さでいきなり未経験の人材事業を立ち上げた。

SBSホールディングスは1987年、佐川急便のドライバーだった鎌田正彦社長が創業した物流会社である。今回、紹介する入山賢一さんは長銀で人事担当部長を務めた後、2つの中小企業を経て2002年、50歳のときにSBSに入社。今では常務を務める。

第4回
1995年に東大工学部から長銀に入社した武藤健太郎さんは、デリバティブ商品の開発や評価を担当した後、外資系金融機関でファンドマネージャーや投資銀行業務に従事した。そんな金融エリートの武藤さんは42歳の今、ベンチャー企業への転職を決めた。

第3回
もしあなたが海外でMBAを取得し、外資系金融機関に勤務したとしたら次のキャリアにはどんな選択をするだろうか。今回紹介する長銀OBの近藤健志さんが選んだのは、意外なことに、中高一貫校の英語教師だった。

第2回
1998年、長銀が経営危機に陥ったときの心境を当時入行3年目だった渡辺健堂さん(43歳)にたずねると、「正直、それ見たことか、と思っていました」と苦笑いしながら振り返った。一体、なぜそんな風に思っていたのだろうか。

第1回
1998年に経営破綻した日本長期信用銀行。2000年に新生銀行として再出発してから早15年。エリートからの転落を味わった元長銀行員たちはどのような人生を歩んでいるのだろうか。長銀OBの激動の十数年に迫る。
