長銀元頭取の鈴木恒男さん
長銀元頭取の鈴木恒男さん Photo:DOL

1998年秋、日本長期信用銀行(以下、長銀)は経営破綻し国有化された。メディアは「ずさんな経営」や「不良債権隠し」がその原因と批判し、翌年には大野木克信元頭取など旧経営陣の3名が逮捕された。起訴容疑は粉飾決算と違法配当であった。

ところが経営破綻から10年後の2008年、最高裁は無罪判決を言い渡した。ならば、長銀の経営が追い込まれたのはなぜだろうか。破綻時の頭取だった鈴木恒男氏は当時の記者会見で「急激な環境の変化」と語った。もちろん経営責任を否定しているのではなく、それも含め、短期間にさまざまな要因が重層的に絡み合って生じた事態、という意味である。

だが当時は「悪者たたき」に終始する感情的な議論が多く、冷静に総括されることはあまりなかった。国有化から20年が経過したいま、長銀「最後の頭取」である鈴木恒男氏に長銀破綻の経緯について振り返ってもらった。(聞き手/経済ジャーナリスト 宮内 健)

「営業重視・審査軽視」へと
変化していったバブル期

 バブル景気が始まる少し前、私は資金調達本部に属していました。その時期、長銀の各本部が集まって長期経営計画について相談する機会があったのですが、借り入れ需要が非常に少なくなっており、融資を伸ばさなければいけないのに伸びない、したがって利益もあがらない状況に陥っていました。

 その後、大阪の営業に転勤になり現場に出てみると、本当に借り入れ需要がないことに驚きました。もう東京では不動産価格が上昇していましたが、大阪ではまだフィーバーしてはいなかったのです。私のいた部署は業務目標をまったく達成できず、非常に肩身の狭い思いをしたのを覚えています。

 1986年に本社へ戻り、私は経営企画部企画室長になりました。もっともこれは対外的な肩書で、業務はMOF担(大蔵省との折衝担当者)と、銀行内の各セクションの利害が反するような問題を調整する内部調整的な仕事です。

 この頃、長銀ではマッキンゼーのコンサルティングを受け、融資部門に権限委譲し、もっと自主性を持たせ、クイックレスポンスできる体制をつくるべきだとのアドバイスに基づき、組織改革を行って総本部制を導入。貸し出しの売り込みと審査を同じ総本部内で完結させることにしました。それは一種の当時の流行で、住友銀行(現・三井住友銀行)もマッキンゼーのコンサルティングを受けて同様の体制を構築していました。

 要はもっと現場にハッパをかけて、貸し出しを増やす仕組みをつくろうとしたわけです。しかし業績を伸ばすために営業優先で審査を軽視しがちになるなど、営業の裁量の幅を広げすぎてしまったと後に反省が出て、89年2月に権限移譲をしましたが、結局は91年2月に元の組織に戻すことになりました。私もこの組織改革に関わりましたが、営業優位にはバブル期の特徴が出ていたのでしょう。その自覚が我々スタッフには足りませんでした。