2007年8月、今の日本を考えるうえでとても重要な裁判が2つあった。

 そのひとつ、2002年に強姦と強姦未遂の2つの事件で逮捕され、約2年1ヵ月の服役を終えてから無実であったことがわかった40歳の男性の第3回再審公判が、2007年8月22日に富山地裁高岡支部で行われ、検察側は論告で男性の無罪を求めた。つまり全面的に過ちを認めたわけだ。

 強姦とされた事件の内容は、民家に侵入して少女を針金のような金属線で後ろ手に縛って乱暴したとの容疑で、相当に悪質だ。そんな事件の加害者として認定した男がまったくの冤罪だったのだから、ケアレスなミスや思い違いのレベルで説明できるはずがない。

 そもそもこの事件は捜査当時から、現場に残された足跡が男性と一致しないことを富山県警は認識していた。さらに携帯電話の通話記録などから、男性のアリバイは成立していたことなども判明している。

 ならば怠慢とか手抜きなどの言葉で説明できる事例ではない。警察や検察は、おそらくは潔白であろうと認識しながら、たまたま目についた人を罪に陥れた。つまり、明らかなフレーム・アップ(でっちあげ)だ。

 しかし、富山県警と地検は「故意または重過失ではない」、「問題は必要な裏付け捜査を欠いたという誤りにあり、厳しく注意、指導を行っている」などとして、当時の捜査関係者をいっさい処分しないとの方針を明示している。
 
 いくつかのメディアでも報じられているが、逮捕直後に自供を強要された男性はその後に容疑を否認しようとして、県警取調官らに激しく怒鳴りつけられ、「今後発言を覆さない」などと記述された念書に署名・指印させられたという。それでも否認しようとすると、腕の先で今にも殴ろうとするような脅しも受けた。

 父親と2人暮らしだった男性は、取調官から「家族が『お前に違いない、どうにでもしてくれ』と言っている」などと何度も言われ、「家族にも信用されていないし何を言ってももうだめだ」という心境になったという。仮出所後は仕事に復帰できず、服役中に最愛の父も他界してしまい、周囲からは前科者扱いされて居場所も転々としたという。自殺を考えたことも1度や2度ではなかったようだ。それに何よりも、たまたま別件の容疑で逮捕された男がこの事件の真犯人であることを自供したからこそ、男性の冤罪は明らかになった。もしもこの真犯人が自供していなければ、男性は今も前科者のままなのだ。