NTTグループの中で、最も実態がつかみにくいのがNTTコミュニケーションズである。1988年のNTTデータ、92年のNTTドコモに続き、99年の「NTT再編」で誕生した。当初はグループ内の軋轢も辞さない新興勢力だったが、2000年にブチ上げた米ベリオ社の買収による痛手から立ち直れず、精彩を欠いていた。だが、近年、再び海外へ目を向けている。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 池冨 仁)

 一時的に、台湾と周辺諸国との通信が途絶した──。

 2006年12月26日夜に発生した「台湾南方沖地震」は、国際通信を担っている海底ケーブルに過去最大級の“障害”を出した。

台湾沖は世界有数の“ケーブル銀座”
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 すぐさま、NTTコミュニケーションズ(NTTコム)のネットワーク事業部で危機管理室長を務める平良聡は、27日午前中に緊急時の社内横断組織を立ち上げた。

 マグニチュード6.7の地震が引き起こした地滑りにより、台湾南部とフィリピン北部のあいだにある全長約250キロメートルのルソン海峡で、海底に敷設されていた9本のケーブルのうち8本が断裂などの被害を受けたのである。

諸外国とは“海の底”を通じてつながる

 しかも、一度に切れたのではなく、翌27日昼にかけて15時間以上にわたって、少しずつ磨耗して切れていった。日本から東南アジア方面へ向かう海底ケーブルの敷設ルートは、地形が浅瀬で好条件という理由で、ほぼすべての通信回線がルソン海峡に集中する。

海底ケーブルの敷設・修理船「すばる」

 この地震の影響で、企業間を結ぶ国際電話やデータ通信、携帯電話のローミング(転送)、インターネットの接続などで一時的なサービス停止に陥り、断続的に不安定な状態が続いていた。

 台湾は、1本だけ生き残っていたケーブルがシステム障害でダウンしたことで、一時的に“全断”の状態に陥り、システムが復旧するまでの約1時間は、事実上世界から孤立した。NTTコムの平良は、すぐに中国本土を通る“迂回ルート”の調達交渉を開始する。

 最初の中国聯合通信(チャイナユニコム)からは「昼時で忙しい」と断られるも、2社目の中国電信(チャイナテレコム)とは双方の利害が一致した。

 日本側は、シンガポールまでの大容量の通信を確保したい。一方で、中国側は、地震で集中する通信を米国に逃したい。NTTコムは、タッチの差で香港と上海を結ぶ陸上のルートを確保できたことで、KDDIやソフトバンクテレコムよりも早く、大半のサービスを復旧させることができた。

 NTTコム社長の和才博美は、「通信が途切れても、すぐにつなぐ。それがインフラ事業者としての責務」と胸を張る。地味な話ではあるが、アジア各国のメディアでは大きく取り上げられた。