婦人重衣料の縫製でトップシェア

小島衣料の石黒崇社長(著者撮影)

 アパレル業界ではいまや海外生産は当たり前だが、岐阜市に本社を置く小島衣料はその中でも先駆者として業界ではよく知られた存在だ。1991年に中国に生産工場を立ち上げたのをきっかけに、現在、バングラデシュに2工場、ミャンマー1工場、フィリピン1工場と4カ国5工場で合計約4000人のスタッフを雇用している。

 同社は女性用衣料全般の縫製を行っているが、特にスーツ、コート、ジャケットなど「重衣料」と呼ばれる分野の縫製では国内トップシェアを誇る。誰もが知っている国内アパレルメーカーの有名ブランドの多くは小島衣料が手がけたものだ。いわば陰の主役である。

 社長の石黒崇(57歳)は創業家ではないが、5代目を継ぎ、同社をグローバル企業に押し上げた。それにしても、どうして本社が70人規模で海外4000人を管理できるのだろうか。そこには、同社ならではの戦略があった。

「私はもともと川下のアパレルメーカーに勤めていたのですが、当時、川上の縫製業は苦労ばかりで見合った報酬の得られない、厳しい仕事だと思っていました。ところが、2002年に38歳で小島衣料に入社した時、すでに海外展開が始まっており、上海で日本のアパレル関連企業を誘致する活動も行うなど、一般的な縫製業ではないと驚きました。こうした積極的な海外ビジネスを手がけたのがオーナーの小島正憲会長です」と、石黒は語る。

 小島は岐阜県の同業の社長に誘われて、いち早く1991年に中国湖北省に進出した。その理由は賃金上昇と人手不足で悩む中、バブル崩壊で経営が悪化したからだ。当時、女性衣料全般を縫製しており、この決断によって製造コストが大幅に下がり、経営を立て直すことができた。同社の進出以降、中国ブームとなり、多くのアパレルが殺到した。

 同社の中国工場も順調に拡大、3年目には3000人もの従業員を抱えるまでになった。最盛期は各地に工場を設け、1万人を超える規模にまで膨れあがった。ちなみに、後述するようにいまは脱中国化を図り、約400人に縮小している。

 順調だった中国ビジネスが変調したのが2000~2002年にかけてのこと。日本企業で働いていた中国人が技術を手にして独立、多くの縫製企業を立ち上げた。中国企業が成長すると、当然、日本のアパレルメーカーに直接営業するようになる。気づいた時には小島衣料への注文が減り始めており、売り上げの3割近くを失った。