レビュー
「教養がある」ことを、英語で「cultivated」と言うが、この言葉は土地や作物が「耕された」「栽培された」ことも意味する。「教養」という言葉には人間の内面が勉強や経験によって磨かれ、手をかけて育てられ、洗練されるという意味が含まれているのだ。
教養は、人間の心を偏見や固定観念から解き放ち、理性によって感情を制御する力を身につけさせ、「自由」な思考の源泉となる。自由な思考をできるようになった人間は、世間に流されることなく、自分自身の力で問題を発見し、解決できるようになるだろう。だから、教養を得ることは、単に知識をたくさん暗記して物知りになることではなく、自分で自由な思考ができるようになることを意味する。
本書『考えることこそ教養である』は、世間に流布する「頭のいい人=知識をたくさん覚えている人」というイメージを払拭し、自分の頭で考えるという意味での教養を得るためにはどうすれば良いかを考えることを目指すものである。そのために、「川を上り、海を渡る」というような、イメージしやすい方法を提示し、実践的な問題を取り上げつつ、自分で考える力を身につける道筋が示されている。
小泉内閣で大臣を務め、菅内閣にも深い関わりを持つ著者の立場や主張は、ときに議論を巻き起こす。誰かの意見を批判するにしてもなぜ、どのような根拠なのか。著者が本書で求め、身につけるように促すのは、それを自分の頭で考えることの必要性だ。著者の様々な論点にふれることで、読者は実践的なレッスンを積むことができるだろう。(大賀祐樹)