株主優待でおなじみ桐谷さんが株で4億円を築くまで(4)初めて買った株はお茶菓子のお礼だった!?桐谷広人氏(撮影:山本祐之)

株主優待名人として人気の桐谷広人さん。そんな桐谷さんの株の入門書が日本株版と米国株版が2冊同時に発売され、好評発売中です。株歴37年で相場の酸いも甘いも味わいつくしている桐谷さんが株を始めたのは34歳。なんと初めて買った株は仕手株だった!? 第4回は、株との出会いについて語ってもらいました。

初めて買った株はなんと仕手株! バブル絶頂期で大儲け

――株との出会いはプロ棋士になられてからですか。

株主優待でおなじみ桐谷さんが株で4億円を築くまで(4)初めて買った株はお茶菓子のお礼だった!?プロになり収入も増えてきた20代後半から30代のころ。

桐谷さん:25歳の時にプロの4段になりましてね。で、プロ棋士になりますと月給がもらえます。またプロ棋士ということで原稿の依頼も入ってくるし、レッスンの仕事も入ってきます。急に収入が何倍にも増えました。

 それで、東京証券協和会という証券マンの集まりの団体がありましてね。そこがいろんなクラブ活動をやっていて、その中に将棋部がありました。

 その証券協和会の将棋部の師範を、私の同期の友達で、青野九段という人が、やってたんです。私が29歳の時に、その青野九段が忙しくなって、「ひとつ仕事を引き受けてくれ」と言うんです。

 4つほど選択肢があってね。私も自分のレッスンもたくさん抱えてましたけども、友達が引き受けてくれっていうんで、「まあ、じゃあここにしようか」って言ったのが、東京証券協和会の将棋部だったんです。

――それが証券会社との縁になったんですね。

桐谷さん:東京証券協和会の将棋部は、証券マンの集まりですよね。そこに月に1回行ってました。何十人も証券マンが来まして、指導対局をしてたんですけども、ま、当時は証券マンっていうのは、ギャンブラーかなと思いまして(笑)。こういう人たちと個人的にあんまり付き合わない方がいいと思って、5年間は将棋のレッスンが終わるとそのままぱっと別れて帰っていたんです。

 5年経った、34歳のときに、当時阿佐ヶ谷という町に住んでおりまして。ある日、電話がかかってきまして、今はない中央証券(-合併してなくなっちゃったんですけれども―)の営業所長さん、つまり、支店長さんに赴任してくる人から電話があったんです。その人の上司が毎月私に将棋を教わっているという話を聞いて、「将棋大ファンなので、ぜひお会いしたい、うちに挨拶に行きたい」ということでした。

 当時は、1DKのアパートに住んでいましたので、挨拶に来られても困ると思いましてね。「私の方から行きます」と言って、商店街にあるその証券会社に訪ねて行ったのが、それがまあ株との出会いです。

――最初はお付き合いで株を買われたんですか?

桐谷さん:初めにちょっとした土産で「中期国債ファンド」という普通預金みたいなものに預けるためにお金を持って行ったんです。そうしたら、向こうも喜んだのか、お茶とお茶菓子を出してくれまして。将棋の話をして、「いつでも遊びに来てください」と言われました。

 それから、商店街に行ったときにその証券会社に顏を出すと、お茶とお茶菓子を毎回出してくれるんです。それで、2~3ヵ月通っていたら、「いつもただでお茶や菓子をごちそうになってたら悪いな」と思いましてね。

 それで何か買わなきゃいけないと思いまして。だったら、証券会社なんで、株を売っていますよね。株を一つ買ってあげましょう、ということで、会社四季報を見て、当時は全然わからなかったんですけれど、“配当があって安そうな株”ってことで、西華産業っていう株を買いました。当時1000株で25万円ぐらいだったと思います。

――当時から配当があって安そうな株を選んでいたとは驚きです。

桐谷さん:(チャートを見たら)真っ黒い線でどーんと下がってきてるんですね。あとで知ったんですけども、仕手株で、上がったり下がったりする株で、で、仕手が売って下がったところだったんです。それが、1ヵ月もしないうちに5万円くらい儲かっちゃったんですね。それがまあ、初めての株の体験で。働かないで5万円も儲かっていいのかなって思ったんですけども。

 そしたら、その後、いろんな証券マンから電話がかかってきましてね。将棋部の人から。まあ私が中央証券で株を買ったということを支店長さんが先輩に言ったら、先輩が将棋部の中で広めてしまって。「うちでもやってくださいよ」ってことでいろんなところでやって、で、バブルの時代なので儲かるしね。

 将棋部の人たちもそれまでは何の付き合いもなかったんですけども、私が株を買ったということで、将棋のレッスンが終わって帰ろうとしたら、「先生飲みに行きましょう」って言うんで、十何人くらいでいつも飲みに行くようになりまして。

 株も儲かって友達も増えて、よかったなあと思って。どうもこれは将棋の本職よりも株の方がいいんじゃないかと思いましてね。どんどんどんどん株に資金をつぎ込んで、さらに儲かるもんですから、信用取引と言いまして、自分の株券を担保にお金を借りてやるように。もう永久に上がり続けると思ったんですよ、バブル時代は。それが失敗だったんですけど……。

第5回は、いよいよバブル崩壊での資産激減エピソードへ!

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桐谷広人(きりたに・ひろと)
1949年10月15日、広島県竹原市生まれ。365日株主優待と配当で生計を立てる投資家。プロ棋士七段。バブル絶頂期の1984年に株を始め、バブル崩壊やITバブル、リーマンショックなど相場の浮き沈みを経験。資産は4億円目前。近著に『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの株入門』『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの米国株入門』の2冊が好評発売中。