株主優待でおなじみ桐谷さんが株で4億円を築くまで(5)バブル崩壊で1億円がパアになった!?桐谷広人氏(撮影:山本祐之)

株主優待名人として人気の桐谷広人さん。そんな桐谷さんの株の入門書が日本株版と米国株版が2冊同時に発売され、好評発売中です。今でこそ4億円近くの資産を築いた桐谷さんですが、バブル崩壊をはじめ数々の金融ショックを乗り越えてきました。第5回は、最初に経験したバブル崩壊について詳しくうかがいました。

4~5年かけて増やした1億円が8ヵ月でゼロに

――バブル崩壊時のことを教ええてください。

桐谷さん:株は、最初は少額から始めたんですが、1984年から89年までの5年間で1億円ちょっと利益が出ましてね。さらに儲けようと思って信用取引をやったら、実はそこがバブルのピークで……。

株主優待でおなじみ桐谷さんが株で4億円を築くまで(5)バブル崩壊で1億円がパアになった!?株を始めて5~6年後、40代頃にバブル崩壊に。

 1990年になると急激に株が下がってきましてね、4~5年かけて1億円くらい儲けたのを8ヵ月くらいで1億円すってしまいました。あまりに株が下がって信用取引で損をするので、もう将棋もすごい負けましてね。順位戦(昇降級や翌年の給料を決める対局で、抽選で相手を決めて年に10局指す)で10戦全敗の自己最悪の記録を作ってしまいまして。もう将棋どころじゃないんですよ、株が値下がりして。

――本職の将棋もメタメタに……。

桐谷さん:自分の余ってるお金で買えば値下がりしてもいいんですけども、信用取引って借金で買ってますから、下がるとお金をどんどん払わないといけないんでね。

 で、1990年9月28日に「もうやってられん!!」ということで、全部精算したんです。そしたら、それが金曜日で、土曜か日曜日に、当時の橋本大蔵大臣が何かの声明を出したんですね。株を買い支えるという声明だと思うんですが、そしたら、10月1日の月曜日に平均株価がちょっと反発して、翌日の10月2日がなんと“史上最大の上げ幅”っていうことになったんですね。だから、あと数日我慢すれば少し損も減ってたんですが、結局一番安いところで悲観して全部投げてしまった。

――バブル崩壊を知ったときはどこで何をされていたんですか。

桐谷さん:若い人は知らないと思いますが、バブル崩壊は、何月何日にバブルが崩壊というんじゃないんです。1989年12月29日の3万8915円をピークとして、ずるずるずるずる年明けから下がってきたんで、その一時的な大底が1990年の9月28日だった、ということなんです。

 株が下がり出すと、野村総研っていうところが大底宣言っていうのを出してきましてね。そして、結局、その「大底宣言」が二十何回くらい出たというね(笑)。3万何千円まで下がると「大底宣言」って出て、また下がると「大底宣言」、「大底宣言」、「大底宣言」、「大底宣言」、もう大底だ、大底だ、大底だと言いながら、ずーーっと下がり続けたんですよ。

 でも、バブル崩壊よりも、一夜にして劇下げしたのが、リーマンショックですね……。

(次の第6回目は、桐谷さんに襲い掛かる幾たびものショック)

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桐谷広人(きりたに・ひろと)
1949年10月15日、広島県竹原市生まれ。365日株主優待と配当で生計を立てる投資家。プロ棋士七段。バブル絶頂期の1984年に株を始め、バブル崩壊やITバブル、リーマンショックなど相場の浮き沈みを経験。資産は4億円目前。近著に『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの株入門』『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの米国株入門』の2冊が好評発売中。