ウラジーミル・プーチン氏が旧ソ連国家保安委員会(KGB)の職員として働きだしたばかりの若い頃、適性評価では性格上の欠点が指摘されていた。同氏の自伝によると、後にロシア大統領となるこの人物は「危機に対する意識が低い」との評価を受けた。つまり、不当なリスクを冒しやすいということだ。1989年、プーチン氏が働いていた東ドイツの都市ドレスデンのKGB施設に、民主化運動のデモ隊が乱入しようとした。単なる通訳のふりをして外に出たプーチン氏は、「攻撃的」な群衆を制止しながら、必死になってモスクワに応援を要請した。だが、返事は返って来なかったと同氏は振り返る。プーチン氏がその理念に身をささげたソビエト連邦は、間もなく崩壊した。同氏はこの出来事を繰り返し、20世紀最大の地政学的大惨事だと述べている。その結果、旧ソ連圏の人口の48.5%と国内総生産(GDP)の41%が失われ、何より重要なことに、米国の戦略的な対立軸となる世界の大国としての地位が剥奪された。