【モスクワ】ウラジーミル・プーチン氏が旧ソ連国家保安委員会(KGB)の職員として働きだしたばかりの若い頃、適性評価では性格上の欠点が指摘されていた。同氏の自伝によると、後にロシア大統領となるこの人物は「危機に対する意識が低い」との評価を受けた。つまり、不当なリスクを冒しやすいということだ。  1989年、プーチン氏が働いていた東ドイツの都市ドレスデンのKGB施設に、民主化運動のデモ隊が乱入しようとした。単なる通訳のふりをして外に出たプーチン氏は、「攻撃的」な群衆を制止しながら、必死になってモスクワに応援を要請した。だが、返事は返って来なかったと同氏は振り返る。