この出版社は社名をリコーラ(Rikola)とした。「伊藤忠」のようなネーミングだ。その後はドイツ、オーストリアで金融、新聞、出版、印刷業を手広く展開したが、リコーラ社自体は数年で事業に失敗し、1939年の死去をもってコーラ王国全体も崩壊したという。しかし、オーストリアの文芸史上では、よい文学書を妥当な価格で販売した良心的な出版社として記録されている(★注5)。

 次に、怪人フェリックス・ゾマリー(1881-1956)である。シュンペーターとともにウィーン大学のベーム=バヴェルク名誉教授のゼミに出席していた一人である。

 卒業後はアングロ・オーストリア銀行(ウィーン)に勤め、金融政策の専門家として大学でも教え、マックス・ウェーバーとともに社会政策学会を切り回し、ドイツ、オーストリア、スイス政府のミッションもこなしていた。

 1919年10月末、アルプス鉱山会社事件の幕引きのため、オーストリア政府が所有していたアルプス鉱山会社の株を買い取る場面で再登場したわけである。

 ゾマリーは1918年夏、マックス・ウェーバーとシュンペーターを引き合わせたが(連載第35回)、その後、どうしていたのだろうか。

 1918年11月の敗戦直後、なんとオットー・バウアーがゾマリーに電話して、非常に重要な頼みごとをしていたのである。待て、次号。


注1:
(1) Charles A. Gulick , Austria from Habsburg to Hitler, University of California Press, 1948
(2) Charles A. von Gulick , Osterreich von Habsburg zu Hitler, Danubia-Verlag, 1948

ギュリックは1896年生まれの経済史家で、オーストリアから米国へ移住している。貴族を表すvonは、米国移住の際、削除したのだろう。本書(邦訳なし。『オーストリア ハプスブルクからヒトラーへ』)は1948年に英語版とドイツ語版が出版されており、ハーバラーはこれを参照している。メルツは1980年の英語版の再刊を参照したものと思われる。

注2:
(1)  ゴットフリート・ハーバラー「ヨーゼフ・アロイス・シュムペーター、一八八三-一九五〇年」(『社会科学者シュムペーター』所収、セイモア・E・ハリス編、中山伊知郎、東畑精一監訳、坂本二郎訳、東洋経済新報社、1955)
(2) Eduard Marz, Plane zur Budget-und Wahrungsreform-Die Bauer-Schumpeter-Kontroverse, Osterreichische Bankpolitik in der grossen Wende 1913-1923, Oldenbourg Wissenschaftsverlag, 1981 
(3) 邦訳書は、エドワード・メルツ『シュムペーターのウィーン―人と学問』所収(杉山忠平監訳、中山智香子訳、日本経済評論社、1998)