
最終回
シュンペーターからドラッカーへ――「イノベーション」と「創造的破壊」の精神
坪井賢一
シュンペーターの冒険旅行は、1932年にハーバード大学で終着駅に到着した。彼の理論は自説についてモデル化できていないので、その後の理論経済…
2010.4.14
「経済成長の起動力は企業家によるイノベーションにある」とする独創的な理論を構築したシュンペーターの発想の冒険行を、100年前のウィーンから辿る知の旅行記。
最終回
坪井賢一
シュンペーターの冒険旅行は、1932年にハーバード大学で終着駅に到着した。彼の理論は自説についてモデル化できていないので、その後の理論経済…
2010.4.14
第64回
坪井賢一
日本での講演旅行を終えたシュンペーターは、ボンへ帰って行った。そして、ラブコールを続けたハーバード大学のオファーを受けることに心を決めつつ…
2010.3.31
第63回
坪井賢一
日本滞在中のシュンペーターは神戸に降り立ち、神戸商大で講演を行った。そして、日曜には京都旅行へ出かけた。京都で出迎えたのが高田保馬と柴田敬…
2010.3.17
第62回
坪井賢一
シュンペーターが日本を訪れたのは、世界恐慌の影響によって日本も大不況に陥り、金解禁を行なった1年後の大デフレの最中だった。シュンペーターは…
2010.3.3
第61回
坪井賢一
世界恐慌がドイツにも伝播し、史上最悪の不況に陥っていた頃、シュンペーターは再びハーバードに戻った。そしてしばらくすると、またしても繰り上げ…
2010.2.17
第60回
坪井賢一
ハーバード大学から半年ぶりにボンに戻ったシュンペーターは、ボン大学の講義を再開した。しかし再びハーバード大学へ旅立つ。客員教授として招いた…
2010.2.3
第59回
坪井賢一
中山伊知郎の留学から1年後、東大農学部助手・東畑精一がシュンペーターに師事するためボン大学にやってきた。東畑は後年、シュンペーターの著作を…
2010.1.20
第58回
坪井賢一
シュンペーターの教え子に2人の日本人がいた。中山伊知郎と東畑精一である。中山はボン大学に留学する前に、東京商科大学にて福田徳三に学んでいた…
2010.1.6
第57回
坪井賢一
1926年のシュンペーターは、ボン大学や他大学の講義で多忙を極める中、『経済発展の理論』(初版1912年)の改訂作業も始めた。しかし、そん…
2009.12.9
第56回
坪井賢一
シュンペーターは、ボン大学で優秀な学生たちを指導しつつ、多くの論文を次から次へと発表した。シュンペーターは「理想的な教師」と慕われ、教え子…
2009.11.25
第55回
坪井賢一
シュンペーターのボン大学招聘は、シュトルパーの強い推薦によって動いた。2人の交流は、シュンペーターが財務相に就いていた頃からあったようだ。…
2009.11.11
第54回
坪井賢一
ドイツ経済が相対的安定期に入っていた1925年、シュンペーターはボン大学教授に着任した。ボン大学は、あのベートーヴェンもこの大学の出身であ…
2009.10.28
第53回
坪井賢一
ドイツはドーズ案による賠償金分割払いの方法が決まり、経済は安定期に入ったが、賠償金は天文学的な数字のままだった。そこで、賠償金問題はヤング…
2009.10.14
第52回
坪井賢一
シュンペーターがウィーンからボンへ移住した1925年、ドイツは膨大な賠償金問題に悩まされていた。さらにハイパーインフレーションが起き、ドイ…
2009.9.30
第51回
坪井賢一
東大助教授・河合栄治郎は満を持してシュンペーターに東大招聘を切り出す。不遇をかこっていたシュンペーターは大いに喜んだ。大物シュンペーターの…
2009.9.16
第50回
坪井賢一
銀行頭取を辞任し、浪人となっていたシュンペーターだったが、そんな彼をある日本人が訪ねた。その日本人とは東大助教授河合栄治郎で、彼の目的とは…
2009.9.2
第49回
坪井賢一
シュンペーター頭取のビーダーマン銀行は、不良債権の膨張で経営危機に陥る。救済に乗り出したのはイングランド銀行の子会社、アングロ-オーストリ…
2009.8.19
第48回
坪井賢一
財務相から大学教授に帰任していたシュンペーターは、突然、銀行経営者に転じる。学界、政界、学界、そして金融界へと冒険は意外な展開を迎えるが、…
2009.8.5
第47回
坪井賢一
シュンペーターの行動が謎に包まれている1920年。ドイツでは第2次社会化委員会が召集され、イタリアでは自動車会社フィアットがストライキと工…
2009.7.22
第46回
坪井賢一
シュンペーターが財務相を辞任するきっかけともなったアルプス鉱山会社株の買収をしたイタリアの巨大自動車会社フィアット。その買収劇が行なわれた…
2009.7.8