初の著書『伝わるチカラ』を上梓するTBSの井上貴博アナウンサー。実はアナウンサーになろうとは1ミリも思っていなかったというのだが、一体どのようにして報道の第一線で勝負する「伝わるチカラ」を培ってきたのだろうか?「地味で華がない」ことを自認する井上アナが実践してきた52のことを初公開! 人前で話すコツ、会話が盛り上がるテクなど、仕事でもプライベートでも役立つノウハウと、現役アナウンサーならではの葛藤や失敗も赤裸々に綴る。

【TBSアナウンサーが教える】<br />先輩・安住紳一郎アナと<br />別ルートで勝負したワケ

苦渋の決断で成長の道を切り拓く

【前回】からの続き

入社後、最初に経験したのは、スポーツ実況の研修でした。採用試験で野球の話ばかりしていたので、私をスポーツアナウンサーとして育てる計算だったのでしょう。

ところが、私自身にはスポーツアナウンサーになりたいという願望が希薄でした。私が目指していたのは「司会者」です。

後述するように、アナウンサーになってから学んだ逸見政孝さんや久米宏さん、みのもんたさん、生島ヒロシさんなどの、テレビを代表する司会者になりたい。そう考えたとき、スポーツ実況の分野で経験を積む道は、自分にとっては違うように思いました。

このまま何も意思表示をしなければ、この状態が続くことになる。なんとかしなければ。

焦った私は、各情報番組のプロデューサーを1人ずつ訪ね、「新人の井上です。どんな仕事でもやらせてください」と頭を下げて回ることにしました。

情報番組を選んだ理由は、先輩の安住紳一郎さんとは、別のルートを開拓しようとしたからです。

10年先輩の安住さんは、すでにバラエティ番組で頭角を現し、押しも押されもしない人気アナウンサーになっていました。私が丸腰でバラエティ番組に打って出ても、まるで勝てる気がしませんでしたし、「安住は2人いらない」と言われれば、それまでです。そこで狙いを定めたのが情報番組でした。

恥ずかしいくらいに打算的ですし、浅はかといわれれば浅はかな戦略でしたが、当時はとにかく必死だったのです。

しばらくすると、情報番組からポツポツと声がかかるようになりました。そして2年目の4月を前に、『朝ズバッ!』(2014年まで平日朝に生放送)のリポーターへの採用が決まりました。

『朝ズバッ!』のリポーターになれば、スポーツアナウンサーの道は完全に断たれることになります。

自分で選択したこととはいえ、お世話になった先輩には申し訳ない気持ちで一杯でした。特に、熱心にスポーツ実況の手ほどきをしてくださった新タ悦男アナウンサーには、後ろめたい感情がありました。

ある日、研修を終えて新タさんとカフェに入った私は、いつものように今日の出来事についてあれこれ話し始めました。新タさんに伝えるなら、このタイミングしかありません。

「実は『朝ズバッ!』のリポーターのオファーをいただきまして、スポーツから離れることになりました」

新タさんは、私を一人前にしようと心血を注いでくださっていました。反対されるかもしれませんし、「もっと早く言えよ!」と怒られるかもしれません。少なくとも落胆されそうです。

いたたまれなく感じていると、新タさんは「おー、それはよかったなー。しっかり頑張れよ」と笑顔。そして、温かく私を送り出してくれたのです。

涙が出るくらい嬉しかったのを覚えています。もう情報番組で結果を残すしかない。退路を断った瞬間でした。

本稿は、『伝わるチカラ』より一部を抜粋・編集したものです。

井上貴博(いのうえ・たかひろ)
TBSアナウンサー
1984年東京生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾高校を経て、慶應義塾大学経済学部に進学。2007年TBSテレビに入社。以来、情報・報道番組を中心に担当。2010年1月より『みのもんたの朝ズバッ!』でニュース・取材キャスターを務め、みのもんた不在時には総合司会を代行。2013年11月、『朝ズバッ!』リニューアルおよび、初代総合司会を務めたみのもんたが降板したことにともない、2代目総合司会に就任。2017年4月から、『Nスタ』平日版のメインキャスターを担当、2022年4月には第30回橋田賞受賞。同年同月から自身初の冠ラジオ番組『井上貴博 土曜日の「あ」』がスタート。同年5月、初の著書『伝わるチカラ』刊行。