初の著書『伝わるチカラ』を上梓するTBSの井上貴博アナウンサー。実はアナウンサーになろうとは1ミリも思っていなかったというのだが、一体どのようにして報道の第一線で勝負する「伝わるチカラ」を培ってきたのだろうか?「地味で華がない」ことを自認する井上アナが実践してきた52のことを初公開! 人前で話すコツ、会話が盛り上がるテクなど、仕事でもプライベートでも役立つノウハウと、現役アナウンサーならではの葛藤や失敗も赤裸々に綴る。

【TBSアナウンサーが教える】実はテレビ業界が嫌いだったワケ

アナウンサーになる気はなかった

【前回】からの続き

大学3年になり、就職先を探そうとするときも、私は兄の存在を少なからず意識していました。

当時、兄は大手の外資系企業に入社し、毎日遅くまでバリバリ働いていました。大手企業に入社して兄と張り合ってみたい。そう思う一方で、ベンチャー企業に入社し、兄とは違うルートからのし上がりたいという気持ちもありました。

当時の学生たちは、すでに大手企業ではなく、ベンチャー企業を志向する価値観を持ち始めていました。なかには自分で起業を模索する同級生もいたくらいです。私自身も、起業へのあこがれを強く持っていました。

正直に言うと、テレビ局を目指す気はさらさらありませんでした。

学校で朗読を褒められたわけでもなく、テレビを見る習慣もなかった私は、アナウンサーを異世界の職業のように見ていたのです。

そもそもテレビやテレビ局の周囲に漂う空気感を毛嫌いしているところもありました。テレビ業界は、自分たちが世の中を動かしていると勘違いしている人の集団だという考えを抱いていたのです。

周りの友人にも似たような考え方をする人が多く、普段はテレビを話題にすることもほとんどありませんでした。だから、自分がテレビ業界に入るなどとは、夢にも思っていなかったのです。

アナウンサー採用試験を受ける最初のきっかけは、野球部の同期の仲間内で「アナウンサー志望でもなく、何の準備もしていない自分たちが試験を受けたらどうなるだろう」という話をしたことでした。

アナウンサー採用試験は、全業界で最も早く採用試験がスタートします。受験すれば、お金をかけずに面接の練習もできそうです。要するに、ちょっとした興味本位でアナウンサーの採用試験にエントリーしたというのが実情でした。

【次回に続く】

井上貴博(いのうえ・たかひろ)
TBSアナウンサー
1984年東京生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾高校を経て、慶應義塾大学経済学部に進学。2007年TBSテレビに入社。以来、情報・報道番組を中心に担当。2010年1月より『みのもんたの朝ズバッ!』でニュース・取材キャスターを務め、みのもんた氏の不在時には総合司会を代行。2013年11月、『朝ズバッ!』リニューアルおよび、初代総合司会を務めたみのもんた氏が降板したことにともない、2代目総合司会に就任。2017年4月から『Nスタ』平日版の総合司会。2022年4月から自身初の冠ラジオ番組『井上貴博 土曜日の「あ」』がスタート。同年同月、第30回橋田賞受賞。同年5月、初の著書
『伝わるチカラ』を刊行。