かつて台湾を占領していた日本軍の兵士らは、台湾西岸の平らな海岸地帯で唯一の高所となっている桃園虎頭山の頂上から、台湾海峡を見下ろしていた。同海峡上には、水平線まで何も浮かんでいなかった。兵士らの忍耐は、1905年にかつての中国・満州での戦闘に向かう帝政ロシア・バルチック艦隊の蒸気艦船を視界に捉えた際にようやく報われた。強大なロシア艦隊は、7カ月の太平洋航海のあと、2日に満たない戦いで海底に沈んだ。台湾は、廃品のリサイクルが得意だが、植民地時代の歴史的建造物についても他目的への転用に長(た)けている。日露戦争での日本勝利の記念碑となっていた虎頭山の山頂にあるコンクリート製の砲身は、1945年以降に第2次大戦での日本の敗北と台湾の中国への返還を祝う記念碑へと模様替えされた。その近くにある神道の神社は、台湾の旗の白い太陽と同じデザインが彫り込まれた屋根飾りを除けば、以前と変わらない姿をとどめている。