韓国の人気アーティストBTSの突然の「グループ活動休止」というニュース。その前日に彼らのデビュー9周年を迎え、お祝いムード冷めやらぬ中の寝耳に水の出来事だった。『あやうく一生懸命生きるところだった』や『K-POP時代を航海するコンサート演出記』などの韓国書籍の翻訳を手がける翻訳家の岡崎暢子氏によると、今回のBTSの決断には、昨今の韓国エッセイのメッセージに通じる空気が感じられると言う。

BTSの「活動休止」が教えてくれた“立ち止まる勇気”©Adobe Stock

世界が衝撃を受けた「防弾会食」

 先月世界中を駆け巡った、BTSの活動に関するニュースは日本でも大きな反響を呼びました。「防弾会食」と銘打ったユーチューブ動画で、今後ソロプロジェクトにも注力していくことをメンバー自身の口から打ち明けたことも、そこで彼らが見せた涙も、前日6月13日がデビュー9周年というアニバーサリーだったこととの温度差も、インパクトは十分すぎるほどで、すべてが衝撃的でした。

 そこから約ひと月ほどが過ぎた今、7人のメンバーのうち、J-HOPEのソロ活動がその口火を切って、彼らが言うBTSの「チャプター2」は着実に進行しています。事務所が描いている(たぶんメンバーの兵役服務までをも組み込んだ)数年間のプランの序章なのだろうなと、いち韓国カルチャー好きの私は想像しています。

 私自身、『あやうく一生懸命生きるところだった』をはじめとした韓国エッセイを中心に、韓国の本の翻訳を手がけていることもあり、日常的に韓国社会と出版物の傾向について考えることも多いのですが、今回のBTS(と、もちろん所属事務所)の決断には、最近の韓国エッセイに綴られているメッセージと相通ずる部分があるなあと、しみじみ感じ入っているところです。

競争社会に響いた「自分自身を愛してください」というメッセージ

 日本でも、特に2019年以降、書店で目立ち始めた韓国エッセイ。『私は私のままで生きることにした』『あやうく一生懸命生きるところだった』『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』など、いずれもキャッチーなタイトルとSNS映えするおしゃれな装丁が特徴で、文字量は少なめ、親しみやすいイラストが添えられていることも共通しています。

 こうしたエッセイが発信している主なメッセージは、強引にまとめれば、「ありのままの自分を受け入れて、愛してください」というもの。他人と比べたり、どうにもならないことまで自分のせいだと思いこまないことなどを勧めています。

 私は勝手に、これら韓国エッセイのことを「ラブ・マイセルフ本」と呼んでいます。この「自分自身を愛してください(Love yourself)」とメッセージを発し続けていたのが、ほかでもない、韓国イチ影響力が大きいと言っても過言ではないBTSだったことは結構大きなポイントかもしれません。

 韓国といえば、厳しい受験戦争や出世レースに代表される超競争社会と、カンヌ国際映画祭で最高賞を獲得した『パラサイト 半地下の家族』など映画に描かれるほど格差が身近な社会。特に2014年のセウォル号沈没事故とナッツリターン事件以降、若い人たちの間でますます格差に対する嫌悪と諦めの空気が色濃くなっていきました。

 物心ついたときから、周りと比べられてきた韓国の若者たち。「ありのままの自分を受け入れて、愛してください」とは、競争を強いられては誰かより劣る自分を卑下し、休むことも許されない若者たちが一番欲しかった言葉だったのでしょう。

まずは立ち止まるのが先でしょ?

 今回の「防弾会食」でBTSのメンバーたちが、淡々と、または時おり声をつまらせながら語った訴えの数々――。「自己表現したい」「少し休みたいと考えることすら悪いことなのではないかと思うようになった」「すべての瞬間が楽しいわけじゃない、当然つらいこともある」「長く続けていくためにも、個人の時間が必要だ」……。一般人の何倍もの密度でひたすら走り続けてきた彼らの訴えは、特に社会に出た人たちなら誰でも共感できうる身近なものでした。彼らがこうして弱いところも見せたのは、ありのままの自分を受け入れているからこそできたことじゃないでしょうか。

 拙訳書で、韓国でも25万部超のベストセラーとなっている『あやうく一生懸命生きるところだった』では、全力で走り続けてきた40歳の著者が、立ち止まることで見えてきた様々な気づきを綴っています。

「違うと思っているのになぜ進むの? まずは立ち止まるのが先でしょ」
「自分の心に従えば、少なくとも誰かのせいにすることはない」

 こうした気付きが、凝り固まった視点を変えさせ、ふっと肩の力を抜いてくれます。

 また、J-HOPEが最年長メンバーのJINに勧めたいと言ったことで有名になった作家クルベウの本『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』(翻訳/藤田麗子)には、こんな一文もあります。

「選択には正解がない。その状況で自分に合ったものを探し出すことが最高の選択となる」

 そう。つらいときにはつらいと言っていいし、方向性が違うかもと思ったときには立ち止まっていい。そして、その選択は”自分の心に正直なもの”こそ最高の選択だと言えるのです。今回のBTSの決断と行動は、今、身動きがとれずにつらい思いをしている人たちにとって、少しでも自分の気持ちを口にする勇気、行動に移す勇気、そして立ち止まる勇気を与えてくれたのではないかと思っています。

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岡崎暢子/韓日翻訳家・編集者
『あやうく一生懸命生きるところだった』『今日も言い訳しながら生きてます』『どうかご自愛ください』(以上、ダイヤモンド社)ほか、『頑張りすぎずに、気楽に』(ワニブックス)、『僕だって、大丈夫じゃない』(キネマ旬報社)など、訳書多数。BTS関連では、防弾少年団のデビューショーケースから海外ツアーまでのコンサート演出を手がけてきたキム・サンウクPDによるエッセイ『K-POP時代を航海するコンサート演出記』(小学館)、J-HOPEの愛読書『世の中に悪い人はいない』(KADOKAWA)がある。