一線の人材を輩出する「横浜雙葉」、その学校文化と国際教育競技や演技を観戦できる席が設けられた体育館

横浜山手という立地

――学校はずっといまの場所にあるのですか。

木下 最初は、創設者であるシスターたちがフランスから来日して、山手町58番地に修道院をつくりました。その後は山手町83番地に移転して少しずつ敷地を広げ、現在の88番地に至っています。関東大震災(1923年9月)と横浜大空襲(1945年5月)で甚大な被害を受け、その都度建て直されました。

――お隣のサン・モール・インターナショナル・スクールとの交流はありますか。

木下 コロナ禍以前には、放課後にこちらから生徒が行ってサン・モールの生徒とバディを組み、グループワーキングなどであちらのネイティブの先生の授業を受けたりしました。理科や社会、数学などの授業でした。サン・モールの「日本文化の日」には、こちらの茶道部などにお招きして一緒に活動したり、器楽部(オーケストラ)が合同コンサートをしたりしました。

――そういう活動は英語で行うわけですね。

木下 全部英語です。先日も先生と生徒が一緒に、マザー・マチルドのお墓がある外国人墓地の掃除に行っていました。コロナ禍でクラブ活動も困難でしたが、工夫しながらいろいろ交流をしたいと思っています。すでに、サン・モールの先生方ともそのようにご相談しています。

――いいですね。日本にいながらにして国際交流ができますし。

木下 はい。一方で、海外でのスタディツアーも20年以上前からあります。創始者のマチルドが来日する前に20年間教えていた、マレーシアやシンガポールにある姉妹校を訪ねています。他にオーストラリア、アメリカ、韓国などにも行っています。ただ、いまはコロナ禍でオンラインでの交流になったりしています。

 姉妹校とは同じ校章で、校訓も世界共通です。言葉は違ってもお互いに親近感があります。最初は同じアジア地域にもっと目を向けようと、アジアの国々に研修旅行に行きましたが、いまは、アジア以外の国にも行くようになっています。

――平和学習にも熱心ですね。

木下 高2生が被爆地を訪れて、戦争のことや平和のこと、命の大切さについて考えています。事前学習や事後学習に特に力を入れており、本を読んだり講演を聞いたり、映像を見たりして、戦争を知らない世代として、平和の尊さや意義について自分のこととして考えるようにしています。

一線の人材を輩出する「横浜雙葉」、その学校文化と国際教育サン・モール・インターナショナル・スクールとさまざまな交流機会を設けている。合同コンサート(左)と、着物の着付け体験(右) 写真提供:横浜雙葉中学高等学校
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