全世界で700万人に読まれたロングセラーシリーズの『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』(ワークマンパブリッシング著/千葉 敏生訳)がダイヤモンド社から翻訳出版され、好評を博している。本村凌二氏(東京大学名誉教授)からも「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」と絶賛されている。
その人気の理由は、カラフルで可愛いイラストで世界史の流れがつかめること。それに加えて、世界史のキーパーソンがきちんと押さえられていることも、大きな特徴となる。本書には、暗殺によって生涯を閉じた歴史人物たちも数多く登場する。オーストリア皇太子フェルナンドもその一人だ。「サラエボ事件」と呼ばれるこの暗殺によって、第一世界大戦が引き起こされる。だが、実は、この暗殺計画はほぼ失敗しかけていた。そもそも、なぜ皇太子が狙われたのだろうか。世界を揺るがした暗殺事件の背景について、著述家・偉人研究家の真山知幸氏に寄稿していただいた。

14歳からわかる「第一次世界大戦」を引き起こした大事件の背後にあった「極めて幼稚な理由」とは?Photo: Adobe Stock

暗殺犯はセルビアのナショナリスト

 1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位後継者であるフランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーが暗殺される。

 暗殺したのは、セルビア人のナショナリスト、ガブリロ・プリンツィプ。プリンツィプの望みは、ボスニアをオーストリア=ハンガリー帝国の支配から解放させて、ロシア帝国の援助のもと、セルビア王国を築くことだった。

大国が参戦して世界大戦が勃発する

 一人の男による暗殺事件が引き金となり、ヨーロッパの各国が動き始める。というのも、当時のヨーロッパでは、諸国が同盟を結び、一つの国が戦争をすると、別の国もそれに加勢するという危険な状態にあった。

「サラエボ事件」と呼ばれるこの暗殺によって、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに戦線布告を行うと、ロシア、ドイツ、フランス、イギリスといった大国もこれに参戦。第一次世界大戦の火ぶたが切られることとなった。

橋のたもとにいた怪しい青年

 それだけ世界に深刻な影響を与えたにもかかわらず、この暗殺計画は実にお粗末なものだった。

 この日、フェルナンドが妻とともにサラエボの街を訪れることを聞きつけて、多くの人々がオバラ通りを埋めつくしていた。

 やがて6台の車両の列が群集の前に現れる。先頭の車にはサラエボ市長と警視総監が、続く2台目にポチョレック将軍のほか、フェルナンド夫妻が乗っていた。

 歓声が上がるなか、橋のたもとには2人の青年の姿があった。うち一人の青年が、大公夫妻が乗る2台目の車に向けて、小さな金属物を投げつける。

投げつけられた金属物が爆発する

 パチン、という音がしたので、3台目の車は「前がパンクしたのか」と思い、速度を緩める。一方、2台目の車は音と同時に、逆に速度を上げたために、金属物が車から転げ落ちた。

 その瞬間、大爆発が起きる。負傷したのは、3台目に載っていた副知事と見物客の数人だ。2台目の乗客については、火薬の筒が大公夫人の首をかすめただけだった。ターゲットとされたフェルナンドは難を逃れることとなった。

 犯人の青年はどうなったかといえば、海に飛び込んで逃げようとしたところを捕まえられて、警察へと連行されている。

皇太子は市長を一喝

 フェルナンドは一命をとりとめたが、安堵よりも怒りが先に立った。車両が市役所に到着すると、市長に激怒している。

「わざわざ訪問した私に爆弾を投げつけるとは何事か! ご説明を願いたい」

 予定していた公式行事は中止され、フェルナンド一行は鉄道の駅に向かうことになった。フェルナンド夫妻は同じく2台目の車に乗り込んでいる。

 だが、ここで一行は3つのミスを犯してしまう。

2回目の暗殺チャンスが訪れたワケ

 一つ目のミスは、すぐに鉄道の駅に向かわなかったこと。フェルナンドがサラエボを発つ前に、爆弾でケガをした副知事を見舞いたいというので、とりあえず病院に向かうことになった。

 そして、二つ目のミスが病院に行くにあたって、さきほど爆弾が投げつけられた道を引き返したこと。犯人が逮捕されたこともあり、まさか、同じ道でまた狙われることはないだろうと安易に考えたのだ。

 だが、実行犯は2人の青年だけではなく、ほかに4人の共謀者がいたのである。

 そして三つ目のミスが、引き返す際に1台目の車が道を間違えたことだ。2台目もこれに続いたが、ポチョレック将軍が間違いに気づいて、運転手に伝えた。すると車は方向転換するために、いったん停車する。

 これが命取りとなった。方向転換しようとした道のカフェに、暗殺計画メンバーの一人、ガブリロ・プリンツィプがたまたま居合わせていたのである。

頸動脈を打たれて死亡

 2台目の車が停車した瞬間、右側から近づいてきたプリンツィプから、2発の銃弾を放たれる。フェルナンド大公は頸動脈を、夫人は腹部を撃たれてしまう。

 大公夫妻は病院に運ばれるが、まずはフェルナンドが死亡。その数分後には妻がその後を追って亡くなっている。

 プリンツィプは犯行後に、銃口を自分に向けて自殺しようとするが、すぐさま群衆に取り押さえられて、駆けつけた警察官に捕獲されている。

主犯は10代から20代の若者

 事件後に裁判が始まると、暗殺グループの年齢に注目が集まった。6人の暗殺グループのうち、実に5人が20代にも満たなかったのである。

 彼らはみな「セルビア民族の統一国家を作るべきだ」という情熱を持って今回の行動に至った点で共通している。

 また「黒手組」(ブラック・ハンド)と言われる民族主義の秘密組織と関与していた。コードネームで呼ばれる秘密結社に魅了されたらしい。そして、自分たちの政治的要求に注目を集めるために、影響力のある人物を葬り去ることにしたのである。

「セルビアの英雄」を気取っていた

 犯人グループの一人は自身のことを「セルビアの英雄」と名乗り、暗殺計画の前にはヒーロー気取りの写真まで撮影していた。

 その一方で、メンバーの中には「罪のない見物人を殺すことになるかもしれないと思うと爆弾を投げつけられなかった」と父への手紙で胸中を語る者や、「誤って夫人を撃ってしまうのを恐れて発砲しなかった」と主張する者もいた。

 そして犯行当日、ほとんどのメンバーは怖気づいていたこともわかっている。

フェルナンド自身には原因はなかった

 なぜ彼らはフェルナンドをターゲットにしたのか。

 それは、ただフェルナンドが皇位後継者の候補であったからに過ぎない。フェルナンドの政治姿勢が彼らを刺激したわけでもなんでもなかったのだ。いわば、オーストリア=ハンガリー問題のシンボルとして、フェルナンドの暗殺は実行されることとなった。

 実行犯のプリンツィプについては、多くの本を読む知的な青年だったともされている。だが、フェルナンドの暗殺に至った思考は短絡的である。極めて幼稚だと言わざるを得ない。

たった一つの出来事が連鎖する

 たった一つの出来事が、ドミノ倒しのように連鎖していき、とんでもない大事件を引き起こす。その最たる例が、第一次世界大戦である。

 この大戦はどの国も望んでいなかったと言われることが多い。きっかけとなった暗殺事件のお粗末な背景を知れば、今の私たちも、世界大戦の脅威とは無関係とは言えないだろう。

世界史を学ぶ醍醐味

 二度と世界大戦の悲劇を起こさないためにも、世界史を学んで、他国の歴史を学び、自国と他国との関係性を常に考察することが重要だ。

アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史を読むことで、各国の歴史に対する多角的な視点が磨かれれば、日々の国際ニュースの見方も変わるはず。世界情勢を分析する目が養えるのも、世界史を学び直す醍醐味ではないだろうか。

【参考文献】
ジェームズ・ジョル『第一次世界大戦の起原【改訂新版・新装版】』(池田清訳、みすず書房)
木村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)
板谷敏彦『日本人のための第一次世界大戦史』(角川ソフィア文庫)
リンゼイ・ポーター『暗殺の歴史』(北川玲訳、創元社)