1994年に本格的な少子化対策を打ち出した政府。それから約30年、歴代政権があの手この手で少子化を克服しようとしてきたが、めぼしい効果があがっているとはいえない。なぜ、少子化対策はうまくいかなかったのか。
歴代政権も手をこまねいていたわけではない。
少子化が注目を集めたのは1990年。1人の女性が生涯で産む見込みの子どもの数を示す「合計特殊出生率」が、前年に1.57となった。それまで最低だった66年の「丙午(ひのえうま)」の1.58を下回り、「1.57ショック」と騒がれた。
これを受け政府は、94年に初の本格的な子育て支援策「エンゼルプラン」を策定。その後も「新エンゼルプラン」(2000~04年)や「子ども・子育て応援プラン」(05~09年)などを連発し、育児休業制度の拡充や保育料の無償化などに取り組んだ。17年には、安倍晋三首相(当時)が少子高齢化を「国難」と呼び、その突破を公約に衆議院を解散し、選挙に勝った。
だが、出生率は下がり続けた。それどころか、21年時点で合計特殊出生率は1.30。人口維持に必要な2.07を1970年代半ば以降、下回り続けている。
なぜ、30年以上も対策を打ち続けながら、うまくいかなかったのか。
人口問題に詳しい大阪公立大学教授の杉田菜穂さん(社会政策論)は、「女性が追い込まれる支援だったから」と話す。
「戦時中、『産めよ、殖やせよ』のスローガンのもとで女性の出産・多産が奨励されました。ここ30年近くの育児と仕事の両立支援を重視する少子化対策は、それを焼き直して『産めよ、働けよ』といっているようなものでした」
例えば、保育料が無料になっても、子どもの保育園への送り迎えを担っているのはほとんどが女性。その結果、多くの女性は時間的貧困に追い込まれ、それを見てきた若い世代も結婚・出産を「リスク」として避ける傾向を生んだと話す。
「さらに、1人目を産んでも、支援が得られない中での子育てに懲りて2人目はもう無理という女性も多く、それも出生率の低さに表れていると思います」
国は東京しか見てこなかった
中央大学教授の山田昌弘さん(家族社会学)は、こう見る。
「結局、正規雇用の共働き夫婦に向けた政策しか取ってこなかったからです」