78年ほど前、広島市内の橋の近くを岸田英治という4歳の男児が母親と一緒に歩いていた。ジョー・バイデン米大統領ら世界の首脳が今週集う会場からそう遠くないところだ。その日、米軍機B29「エノラ・ゲイ」から投下された原爆が親子の頭上で爆発した。1マイル(約1.6キロ)も離れていなかった。同じく広島にいた少年の叔母は、程なくして発見したおいの姿をこう振り返っている。「彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取って苦しみから解放されました」これは1945年8月6日に起こった数え切れない悲劇の一端だ。戦争が終結に近づいていた当時、世界に気付かれることはなかった。その男児の親戚3人は現在、いずれも世に広く知られた存在だ。一人はいとこにあたる、俳優のジョージ・タケイさん。二人目は前出の叔母、サーロー節子さん(91)。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の代表として2017年に出席したノーベル平和賞授賞式でのスピーチで、おいの悲劇を語った。