私にとってこれはやや意外だったが、よくよく考えてみると、日本でも批評家や知識人が政府を皮肉とともに批判したり、冷笑的な批評をしたりすることで国民の留飲を下げる場面は見られる。そう考えると、ブラックジョークともシニカルな笑いともとれるその反応も納得できるような気がする。そして、このような政府と国民との間の遠い距離感、換言すれば国民が「相手にされていない」と感じて政府を皮肉る関係性は、アフガニスタンでは通史的に存在してきたものである。
3つ目に、多くのアフガニスタン人が時折示す、アフガニスタン国内の問題に外部者は口を出すな、という反応である。これは、政治面では「内政干渉を極度に嫌う」ことにつながり、生活面では「独立自尊の民」であることへの自負につながる。一例を挙げれば、2022年12月24日、ターリバーン指導部が、国内外の非政府組織(NGO)に女性が勤務することを停止する通達を出した際の、ターリバーンとアメリカ政府高官とのやりとりがある。
翌25日、アメリカのデッカー臨時代理大使は、アフガニスタンに対して人道支援をする国の代表として、ターリバーンは女性と子どもたちが飢餓に陥ることに説明責任があるとツイートし、女性のNGO勤務を停止したターリバーンを批判した。これを受け翌26日、ターリバーンのムジャーヒド報道官は、「アフガニスタンにおいて活動を希望するすべての組織は、我が国の規則に従う必要がある」と反応し、「アメリカ政府高官は我々の内政問題への干渉をやめよ」と警告した。
デッカー臨時代理大使は、現代西洋諸国で一般に流布する考えの下、すべての女性が就労の権利を制限されるべきではないとの立場を主張したのだろう。これに対して、ターリバーンは、外部者(アメリカ人)がアフガニスタンの内政に立ち入ったと受け止めたのである。アフガニスタン男性は一般的に、「我々の女性は、我々の名誉である」と考えている。家父長制を基盤とする非常に保守的で男性優位のアフガニスタン地方社会では、女性の貞淑を守ることが、男性の名誉を守ることに直結している。つまり、ターリバーンは、外部者がアフガニスタン女性の問題に言及したことが、アフガニスタン男性の名誉を傷つけたと捉えたのだろう。