2021年の「カブール(※現地発音ではカーブル)陥落」により、現在はタリバン(同、ターリバーン)に統治されているアフガニスタン。女性の人権侵害問題について欧米諸国は非難しているが、彼らの伝統的な文化や習慣を無視した拙速な変革は、これまでもうまくいくことはなかった。ソ連の侵攻とその後の内戦にともなう大量のアフガン難民を支援した緒方貞子や、現地で灌漑用水路事業に取り組み清潔な飲料水確保に精を出した故・中村哲医師など、地に足のついた活動を続けてきた日本が今後果たすべき役割を、中東政治の研究者が綴る。本稿は、青木健太『アフガニスタンの素顔~「文明の十字路」の肖像~』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
アフガニスタンの
人間関係と社会構造
一度でもアフガニスタンに訪れたことがある人であれば、その「おもてなしの心」を思い起こさずにはいられないだろう。
私はアフガニスタン滞在中に幾度も友人の邸宅に招かれて食事をしたことがあるが、客人に対する扱いは丁重そのものだ。客間に通されて、赤銅色の絨毯の上にひとたび胡坐をかけば、あとは手洗い用の水が主人の子どもによって運ばれてきて、豪勢な食事が供され、食後にはフルーツとお茶がふるまわれることになる。
このような特徴的な人間関係を持つアフガニスタン社会だが、では日常生活において互いに敬意と感謝を示し合いながら、いつも笑顔で平和に共生しているのかと問われると、ちょっと感触は異なる。客人歓待はあくまでも友人に対する「ヨソ」の顔で、「ウチ」の顔は違うように思われることが多々あるからだ。実際、客人が主人の家の客間以外に通されることはほとんどないといってよい。つまり、親しい間柄の中にも、どこか「壁」を感じるのも事実だ。
以下で、アフガニスタン人と付き合う中で、日本人の私が違和感を持った出来事を3つほど紹介し、アフガニスタンの人間関係と社会構造を考察する材料にしたい。
1つ目は、道路が渋滞状況にあるときの出来事だ。朝夕の通勤時間帯、道路は非常に混雑するのだが、その時の運転手による他の運転手に対する態度といったら、それは他人に対する思いやりとはほど遠く、敵意と憎しみに満ちたものであった。繰り出されるのは罵りの言葉ばかりであった。
近親の家族や親戚や親しい友人を「ウチ」の人として丁重に付き合う一方で、その狭いサークルの外側の人間を「ヨソ」の人としてぞんざいに扱う人間関係は、例えば日本社会でも見られるものであり、決して珍しいものではない。家父長制を踏襲する社会においては、「家(イエ)」を重視することの反動で、そのネットワークの外側にいる人に対しては冷淡な反応が表れるのだろう。
2つ目は、2014年4月に公共事業省の副大臣が誘拐された際に、多くのアフガニスタン人が示した反応である。私は、多くの人々は、自国の政府高官が武装勢力に誘拐されたのだから、それを心配する声や犯人を非難する声が上がるものと考えていた。しかし、実際のところ、ソーシャルメディア上に書き込まれていた内容の多くは、「政府は自分たちの高官すら守れないのだから、一般国民の治安を確保できるわけがない」といった冷ややかな反応だった。