実際、現代の医療では、どんな病気だとしても、最期は老衰を目指して治療やケアをしていきます。
 老衰のどこがいいかというと、すべての臓器の力がバランスを保ちながらゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していくと、本人は苦しさをあまり感じないのです。どこか身体の一部が衰えて他に元気な部分があるから苦しいのです。

 例えば、高齢の肺がんの患者さん。肺の機能が落ちているのに他の器官が正常だとバランスが取れていないので苦しいのです。
 だったら肺の機能を上げればいいじゃないかと思うかもしれませんが、老化によって一度弱った機能は上がりようがありません。
 脳の機能に異常があって寝たきりになってしまったけれど、心臓は衰えていないので寝たきりのまま延々と生き続ける……。
 それと裏表の関係にあるのが老衰なのです。

 治療というのは本来、いちばん弱いところに合わせておこなうべきです。
 それがいちばん元気なところに合わせようとするから、本人がつらい思いをしてしまうのです。
 元に戻らないものを戻そうとするから、患者さんが苦しむのです。
 元気なところに合わせる治療というのは、極端に言うと、50年前にオリンピックでメダルを取った人に、当時と同じトレーニングを課すようなものなのです。

 80代後半の男性患者のミズノさんは、肺がんの末期を迎えていました。
 とてもかわいらしいおじいちゃんで、よく笑い、よく食べ、酸素ボンベを転がしながらよく病棟を散歩していました。
 このミズノさん、徐々に病気が進行し、眠っている時間が増えていきました。
 ご飯も食べられなくなりましたが、経管栄養も点滴もしませんでした。ご家族の希望は「自然なまま生かしたい」だったので、延命のための治療はしませんでした。ご本人も、

「苦しいのは嫌だから、延命なんてしないでおくれ」

 と口ぐせのようによく言っていました。