なぜ、いつも不安なんだろう? なぜ、人と比べてしまうんだろう?
SNSをひらけば、だれかの幸せそうなようすが映し出される。それに比べて、自分はなんてちっぽけな存在なんだろうと落ち込む。
現代は、こうしたワナにあふれている。それらにとらわれず、世の中のさまざまなしがらみから抜け出して「幸せな人生」を歩むために必要なものはなんだろう?
それは、「自信」だ。『幸せな自信の育て方 フランスの高校生が熱狂する「自分を好きになる」授業』(シャルル・ぺパン著、児島修訳)では、フランスの高校生から大絶賛される哲学教師が、「本当の自信の育て方」を教えてくれる。本書からその一部を特別に紹介しよう。(初出:2022年7月23日)

【うらやましい…】他人の幸せそうなSNSを見て「モヤっ」とする感情への対処法【書籍オンライン編集部セレクション】Photo: Adobe Stock

他人と自分を比べることは
自信にとっての「毒」になる

 私たちはSNSで、客観的な基準に基づいて自分と他人の現実を比べたりはしない。自分自身のありのままの現実と、他者が自分を良く見せようとして演出を加えた現実を比べているのだ。

 フェイスブックやインスタグラムに投稿される写真が、手間をかけて修整されたり、厳選されたりしたものであることは多くの人が知っている。

 それでもそれを見る人にとって、それは「リアル」に感じられるものであり、自分の日常と比較せずにはいられないものなのである。

 そのような写真は、意図的ではないにしても、私たちの自己愛的な心を容赦なく傷つける。

 数万人単位のフォロワーがうらやむ華々しい毎日を送っているように見えるインフルエンサーも、実際にはたいした生活はしていないという話を聞いたことがある人は多いだろう。なかには、自ら命を絶つような苦しい現実を生きているインフルエンサーさえいる。

 それでも、私たちは自分の目で見たものを信じずにはいられない。

 ファッション雑誌に掲載されているモデルの写真もそうだ。私たちはこうした写真が加工されているのを知っていながら、モデルの美しい体を自分の欠点だらけの体と比べてしまう。

「満足度の低い人生」と語りかけてくる写真たち

 私たちはSNSを見て、「他の人のほうが、たくさん旅行をしていて、収入も多く、良い家に住んでいて、面白い人たちと付き合っている」と感じる。

 つまり私たちは、「お前は他の人に比べて満足度の低い人生を送っている」と語りかけてくる画像を、毎日大量に目にしているのだ。

 もちろん、これらは単なる写真にすぎない。それでも、それは私たちが毎日目にするものであり、一片の真実を含んでいる。ちょっと疲れていたり、悩み事を抱えていたりするときにこういう写真を見ると、私たちは簡単に落ち込んでしまう。

比較の無意味さ

 この毒は、幼少期に受けた、自信を損なうような心の傷を呼び覚ましてしまう点でも有害だ。親が自分よりも他のきょうだいを可愛がっている嫉妬心や、愛情の対象を誰かに奪われた感覚、クラスで成績が最下位だったときに感じた恥ずかしさなど、SNSで自分と誰かを比べることで、過去の心の傷が蘇ってしまう。

 他人と自分を比較すると、「人にはそれぞれ、かけがえのない個性がある」という真実が見えにくくなってしまう。

 私たちには誰でも、唯一無二の価値がある。1人ひとり、それぞれ形の違う1粒石のダイヤモンドのように輝いている。

 その価値は、他人との比較で測れるものではない。ある人の社会的な業績を誰かと比較することはできるかもしれない。だが、1つひとつ異なるダイヤモンドの個性的な輝きは、他と比較することはできない。

 自分のかけがえのなさを意識すれば、誰かと自分を比較する考えにとらわれなくてすむようになる。

 結局のところ、比較できるのは似ているものだけだ。本当に個性的なもの同士は、比べられない。つまり、1人ひとり異なる個性を持つ人間同士を比較することは、そもそも無意味なのだ。

「自分の求めていること」に忠実になる

 私自身、「自分が心から望んでいるのは、給料は多くないかもしれないが、知的な欲求を満たしてくれ、充実した生活を送れる教師という天職をまっとうすることだ」と理解しているから、大金を稼いでいる人に嫉妬したりはしない。

「自分の愛する人と愛情豊かな関係を保ち続けること」が望みだとわかっているから、異性関係が派手な友人に嫉妬する必要もない。もちろん、他人と自分を比べることはあるだろう。私が社会の一員として生きている限り、それは仕方がない。

 しかし、自分の望みが何かをしっかりと心得ている限り、その比較は苦痛ではないし、大きな影響を与えられることもない。

 フランスの精神分析医ジャック・ラカンは著書『The Ethics of Psychoanalysis』の中で、「人間にとっての唯一の罪になりうるものは、欲望をあきらめてしまうことだ」と述べている。

 人は、自分が本当に求めていることに忠実であり続けられれば、軸がぶれることなく生きていける。

 それは自分の特性やアイデンティティではなく、自分が心から求めていることや、これまでの人生で培ってきた生き方そのものに忠実であることを意味する。

「自信」の邪魔になる「嫉妬心」

 欲求に忠実でいないと、私たちは罪悪感を覚える。それは自分自身や、自分にとって本当に大切なものから切り離されたような感覚だ。

 大切なものから切り離され、地に足が着いていないと、人は他人と自分を比べようとするようになり、結果として嫉妬心を抱きやすくなる。そのようなときに、自分に自信を持つのは難しくなる。

 自分自身に忠実にならなければ、本当の自信を持つことはできない。心の欲求に従い、大きな喜びを得ていない限り、本当の自信は得られないのだ。欲求に忠実であれば、つい他人と自分を比べようとする弱い心も生まれにくくなる。

[本記事は『幸せな自信の育て方』(シャルル・ぺパン著、児島修訳)を抜粋、編集して掲載しています]