いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と絶賛する同書より、内容の一部を特別公開する。
今回紹介するのは、劇作家や皇帝ネロの少年時代の家庭教師という顔も持つ、ローマ帝国時代の哲学者セネカの名言だ。彼は宮廷で多くの人間の弱さや悪行を目の当たりにして葛藤しながらも、怒りやお金、友情、時間の経過といった普遍的な問題について思考を深めた。そんなセネカの思考の原則がわかる言葉だ。
快楽の奴隷になるな
これほど悲惨なことはない。
かつては不要だったものが、なくてはならないものになってしまったのだから。
それではもう快楽の奴隷であり、快楽を楽しんでいない。
──セネカ『ルキリウスに宛てた道徳書簡集』(書簡39・6)
快楽を「当たり前のサイクル」にしてしまっている
セネカは、欲望と不幸の厄介な関係を思い出させてくれる。
人は消費のサイクル──つねに次を切望する状態―─に入った瞬間から、内面の充足を自分でコントロールできなくなるのだ。
「これがないと生きていけない」というものがある状態で、真の幸福を手にできるだろうか?
ストイシズムでは、幸福が贅沢に依存していないときに、尊い自由を手にできるとされている。
(本原稿は『STOIC 人生の教科書ストイシズム』からの抜粋です)