みなさんは何がきっかけでこの活動を始めたんですか?
石倉 みなさん昔は別の仕事や活動をされていたわけですが、何がきっかけでいまの活動を始めたのですか?
松田 原体験は、自分がいじめられたことです。いじめられていた私と向き合い、自分を変えてくれた先生に恩返しをしたいというところから教育への思いを持つようになりました。
大学卒業後は体育科教諭として中学校に勤務しましたが、「1人でも多くの仲間を集めて子どもたちに120%の力で教えられるような学校をつくりたい」と思うようになり、制度を変えるために教育委員会で働いてみたり、学校づくりについて学ぶためにアメリカの大学院に進学したりしたんです。
そしてアメリカで、社会を巻き込みながら子どもたちと向き合うしくみをつくっているティーチ・フォー・アメリカに出会いました。見えてくる世界はどんどん変化していきましたが、教育という軸はずっと持ちつづけています。
小林 私には2つの原体験があります。ひとつは、高校時代にカナダの全寮制インターナショナルスクールに留学し、初めてグローバルな教育に触れたことです。クラスメートを訪ねて中南米に行くと、8畳くらいのスペースに8人で暮らす子どもたちがいて、教育の機会の不平等というものを目の当たりにし、ものすごく憤りを感じました。
それで前職ではフィリピンのストリートチルドレンの教育を手伝っていたのですが、フィリピンは汚職がはびこっていて、「貧困層の支援だけをやっていても社会は変えられないのではないか」と思い、リーダーシップ教育に対する問題意識がめばえたんです。
小沼 私は大学卒業後に青年海外協力隊で中東のシリアに行ったのですが、実は、日本に帰ってきたときに見た景色が原体験になっているんです。
大学4年生のとき、周囲には目を輝かせる同級生たちがいました。銀行に就職する人は「銀行での仕事を通じて日本企業を元気にし、日本社会を明るくしたい」と言い、商社に行く人は「ビジネスを通じて世界の貧困をなくしていきたい」と言っていたんです。
ところが2年後に帰国し、久しぶりに会った同級生と飲みながら私がこれからやりたいことを話したところ、「小沼は相変わらず熱くていいな。でも、大人になったほうがいいと思うよ」「会社ってところに入るといいよ」と言われてしまいました。
会社に入って目の輝きを失ってしまっている社会人に対して、何か原体験を提供するようなことができないかと考えたのが、いまの活動を始めたきっかけです。