ジェシー・ジャクソン師は何十年にもわたり米国を魅了し、1960年代には公民権運動の旗手となった。70年代には「オペレーションPUSH」を通じて、黒人の権利拡大と雇用拡大の波に乗った。若い米国民には「脳に希望を満たそう。血管に麻薬を流し込むな」と呼びかけた。しかし、17日に84歳で死去したジャクソン師が歴史的な偉業を成し遂げたのは80年代のことだった。同師は米国を「レインボー(虹色の)」国家として再定義しつつ、自らが世に広めた呼称である「アフリカ系アメリカ人」が大統領候補たり得ることを証明してみせた。皮肉なことに、ジャクソン師の影響力は、自身が大統領にならなかったこと、そして米国の文化戦争を特徴付ける決定的な対立と多くの人が見なした局面に関与しなかったことから生じていた。
【寄稿】ジャクソン師の「希望の帝国」
多文化主義の旗手、84歳で死去
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